【寄稿】皇国史観から神国史観、そして新皇学へ 皇學館大學 下山陽太

皇學館大學 下山陽太

皇學館大學 下山陽太

皇国史観は神武天皇を肇国の祖とし、神代を忘却してゐる歴史観也。皇国は皇神が作り給ひし、御国であるからこそ、神国と云ふのであり、皇国の歴史は天地開闢からであることは神典を拝察すれば明白である。皇国は神国であるにも関はらず、皇国史観を提唱した学者の中には神代を完全忘却し、神代文字及び古史古伝を否定するばかりか、勢ひ神代を貶める愚に奔つたのである。神代が存在しない皇国史観など有り得ないのである。本朝が皇国であつても神国ではないとは、笑止千万、辻褄の合はぬ話である。もしも、それを是とするなら、それは日蓮主義的愛国者や美濃部史観(天皇機関説)の愛国者らであり、所謂、神代忘却の皇国史観と云ふものである。

畢竟、皇国史観と愛国は密接不可分であり、随つて愚生は愛国と云ふ言葉を使ふべきではないと思つてゐる。解りやすい一例を挙げれば、大東亜戦争に於いて、皇軍及び臣民は愛する国のために戦つたが、昭和二十年八月十五日の昭和天皇の終戦の詔勅で以て大東亜戦争が終結するや否や、共産党に入党する連中の増えたことを吾々は鑑みなければならない。愛国と云ふ言葉は嫌国になりうる力を秘めてゐる言葉であり、「愛日」は何かの切つ掛けで「反日」へと転化し、其の根底を支へてゐたのが、云ふまでもなく皇国史観であつたのである。

果たして、愛国の代はりに如何なる言葉を使へば良いのか。それは敬国(国を敬ふ)と云ふ言葉であり、民族派及び神代派は愛国尊皇なる語を直ちに止め、敬国尊皇になるべきであると考へる。果たして、敬国精神を身に付けるためにはどうすれば良いか。それは肇国の由来を知り、それが数多存在する国々と如何に違ふのか、即ち皇国体を知ることが重要である。皇国体を知るためには神典から学ぶのが最良の道であり、神典読まずして、皇国の素晴らしさが分かるはずがない。今こそ、皇国史観と云ふ名の愛国史観から脱却し、神典根拠の神国史観から身に付く敬国になるべきであると思つてゐる。

愚生は神典を熟読し、愛国者になつたと云ふ人物は今まで耳にしたことがない。神典とは、愛国挺身の典にあらざるものであり、皇国が万邦に亘つて、素晴らしき国柄を有してゐることを闡明にする典であることは云ふまでもない。神国史観とは、神典を根拠とし、敬国を身に付ける最も重要たるべき歴史学であり、それは神国である皇国では当たり前のことである。神代知らずして皇国体が分かるはずがないことは同志諸君には問ふまでもないであらう。

更に云へば、明治御一新以後、甚だしくは大東亜戦争終結以後、皇学が廃れて来てゐると愚生は思つてゐる。皇学者の思想を探求する云はば思想史の研究者は腐る程居るが、新皇学を作り出さうと立志する学者は現今の皇国に於いては存在しない。皇学とは、崎門学と共に明治御一新の原動力になつた学問である。新皇学が出来ずして、次なる維新は到底不可能である。明治維新が山崎闇斎先生の『崎門学』・徳川光圀公の『大日本史』編纂から約三百年掛かつたやうに、維新とは早急に成し得るものではなく、長い時間掛けて行ふものであると。明治維新が崎門学・皇学が原動力となり断行されたが如く、次なる維新は新皇学の誕生を見ずして期すべくもないのである。新皇学を体制翼賛の学者連中ではなく、民族派・神代派・在野草莽の志士で作り出さうではないか。

皇學館大學 下山陽太

 

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