【現代訳】古道大意上巻その一④

平田篤胤翁

平田篤胤翁

上巻その一③続 

「古事記の成り立ち」

真の道といふものは教訓ではその旨味が知れません。従つてその古の真の道を知るべき事実を記してあるその書物は何かといへば『古事記』が第一です。その『フルコトブミ』といふのは世間の人が『古事記』と覚えてゐる書物がこの『フルコトブミ』といふのであります。さてこの書物がどうして出来たものかといへば、カケマクモカシコキ 神武天皇より、第三十九代にお当たりあそばす 天武天皇のありがたくも厚いおぼしめしを立たせた御事です。一体その以前に、古くから朝廷にも諸家にも書き伝へたもの、天地の初めよりの、古い伝説の御書物が有つて、それが神代の古い言葉のまゝに書いてあつたのです。ところがそれには各々に誤りもあり、又まぎわはしいこともあつたといふのです。そこで天武天皇が御心づきなされて、このやうにまぎはらしい説があつては、この時に正しき事実をも撰び定めなければ、後世に至つてどれを是とも、どれを非とも分からないやうになるだらうと仰せられて、朝廷の御記録はもとより、諸家の記録なども集めて、詳細に御吟味あそばされ、いさゝかも紛らはしいことなく、正しき事を調べ上げ、お撰びなされた書物です。もつとも神代の古言のまゝに、言葉の清み濁りを厳重にお調べなされて、違はないやうに誤らないやうにと、まず御自らの口にてみうかばされたものです。

その頃、稗田阿礼といふ女性がをり、年は二十八才、殊のほか利発で聡明なお方で、口で読み耳に触れたことは全て心に刻まれて、決して忘れるといふことはないお方でした。そこで阿礼を召されて、先の調べに調べ上げられたる所の、天地のはじめより、御父帝 舒明天皇までの御事を、 天武天皇が自らの御口からお教へになられ、それを十分に稗田阿礼に唱へさせて、口直しされあそばしたのです。

これは我が国は始めから、言霊の幸ふ国と、古語にもあり。言語の道を守り幸ふ神がをられて、その言語の上にことゞゝく綿密なる、真の道の趣がこもつてゐるのですから、それを間違へないやうに、失はないやうにと重く思ひ召されて、読み浮かべて、言葉の清み濁り、上がり下がりまで心を配られたる上に、御書き取らせたといふ、厚いお心でおわしました。しかし、そのうちに御代が替はつて、このお次が 持統天皇と申し上げ、そのお次が 文武天皇と申しあげます。

ところがこの二御代の間に、如何なる故なのでせうか、ただ稗田阿礼が声を出してゐるばかりで、お書き取りなされなかつたのです。その次を

元明天皇と申し上げます。この時阿礼は、すでに五十有余であつたのです。ところでこの御代の和銅四年九月十八という日に、朝民の太安万侶といふ人に仰せ付けられて、それをお書き取らせ、翌年正月二八日といふ日に、記し終はらせて献上されたのです。これが即ち太安万侶の表序に書かれた趣旨で、この書が即ち『古事記』です。

この和銅五年が、今この文化十年よりは一千八百年になるのです。さればこの『古事記』は、 天武天皇の厚いおぼしめしで、御自ら古伝説の正実な所をお選びなされて、御読みあそばされた古語ですから、世に類もない、いとも尊き御本です。もし 元明天皇の御代に、そのお志をお継ぎなされて、お書き取りなされなければ、このような尊くてありがたい古語も、稗田阿礼の命と共に失ひ果てるところであつたところ、ありがたくも和銅の御代に、記していただいたおかげで、今の世にまでも伝はつて、このやうに拝見させていただけるのは、まことにありがたいことです。道に志す者は、頭上に捧げ持ち、 天武天皇、また 元明天皇の二御代のありがたきおぼしめし、また稗田阿礼、太安万侶の御徳を忘れるべきではありません。

上巻その二①

さてこの書物に、天地をお初めになされた神々の御事実を始めその他の事実に、ことゞゝくの総ての始め、道のおもむきが備はつてゐるのです。されば本居翁の歌に「上つ代のカタチヨク見ヨイソノ上フルコトブミはマスミの鏡」と詠まれたのです。「上つ代のカタチヨク見ヨ」とは上代の有様を良く見るがよい。その上代の有様をよく知らうと思ふには、『古事記』を読みさえすれば、真澄の鏡に曇りが無いように明らかに、上代の真の道を知ることができるといふ意味です。

さて私の講説はこの通り明らかに知ることができる事実を本として、古の道、神の御上を申し上げれば、 天武天皇、 元明天皇、この二代の厚いお心もおぼしめしがこもつてゐます。だから誰もが心得てお聞き下さい。こちらは身分の卑しき者ですが、その申すことは、神の御真実、畏くも古の天皇が深く厚いおぼしめしで、自らの御口から読みうかべ、お伝へあそばれたものですから、実になおざりにならないことなのです。

『古事記』と『日本書紀』の成り立ち

さて、世間には神の道を学ぶと言ふ人がいくらか居て、それらはもとより大方の人も『日本書紀』のみ尊び、その第一、第二を「神代の巻」と言ひ、この二巻を別の版にし、俗の神道者などはしつこい位に注釈を付け、世の始めや神の御事実を知るには、これをおいて他に書物は無いやうに思つてゐますが、それは間違ひです。詳しい訳は、師が『古事記伝』の始めにつぶさに記してをります。

そのあらましを申しますと、まづ『日本書紀』とは、和銅五年正月に『古事記』を御書き取られてから八年後、第四十四代 元正天皇の養老四年五月、勅命によつて一品舎人の親王が記述されて奏上されたものです。その以前に著された『古事記』があるその上に、重ねてこれを著された訳はどうなのかといふと、『古事記』は先に申した通り上代の趣を素直に、ありのまゝに伝へやうと、 天武天皇が厚くおぼしめしたこと、太安万侶もその大きな御心を心として、書き記したものですから、たゞありのまゝであり、唐の国史の体裁とは似ても似つきませんでした。その頃は唐の学問が盛んであり、お好みなされましたから、『古事記』のやうにありのまゝに、飾ることも無く、評論することもなく、浅々と聞こへることを不満に思はれ、更に広く物事を考へ、年表もつくり、また唐風の言葉などを飾りつけもして、漢字の文章を作り、唐の国史に似た国史としようとして、お書きになれたものです。大体このやうな御趣旨で書かれたものであるため、まんま唐風であり、はなはだ古の事実を失つてゐることが多いのです。そもそも心と事実と言葉とは、みな一体となつてゐるべきものですが、それ故に上代には上代の心と事実と言葉があり、後世には後世の心と事実と言葉があります。また唐には唐の心と事実言葉があるのです。ところがあの『日本書紀』には後世の心でもつて上代のことを書き記し、唐の言葉をもつて我が国の心を書き記されたため一体となつてをらず、ここで古の真実を失つてしまつたことが多いのです。

又『古事記』はいさゝかも私意を加へず、古からの言ひ伝へをそのまゝに記されたものですから、その心も出来事も言葉も、皆上代の真実に適つてゐます。これは一途に古の言葉を主として記されたためです。すべて心も出来事も、言葉をもつて伝へるものですから、書物はその記した言葉が主となる大切なものです。従つて『日本書紀』は飾つた漢文で書かれてゐるために、古の真実を見失ひ、かつ後世に惑ひを生じさせたことを一つ二つ申し上げます。

まずその「神代の巻」の始めに、「古天地未剖 陰陽不分 混沌如鶏子」と言つてゐるところから「然後神聖生其中焉」とあるところまでは、唐の書『淮南子』といふもの、また『三五暦記』などといふもの、その他の書の文章もいろゝゝと取り合はせて、飾りに加へ入れた撰者の意向で、日本の古の伝へではないのです。この続きの文「故曰開闢初  洲壌浮漂  譬猶遊魚之浮水上也」云々とあるのは、これが真の上代の伝説で、故に曰わくとあるために、それより上は、撰者が新たに加えられた文章であることが知られます。もしそうでないのなら、その「故に曰わく」と書かれてあることが何の意味とも分からないのです。

冒頭の文は以下のすべてに勝るものです。その冒頭の文を唐風に書いたために、わが国の古伝説とは趣が違つて聞こえるのです。したがつてこゝは古言の読みをつけて読むまでもなく、ただ序文として扱うのがよいのです。既に古人も『釈日本記』に「日本書紀三十巻に序なし」と言つてゐるのです。そもそも天地の始めて現れた有様は、実にわが御国の伝説の如くであろうものを、何としてでもしつこくはかりごとをなし、異国の伝説を借用し、冒頭に用い上げたことなのです。今この二つを比べて見るに、唐風の方は、道理が深く聞こえて、まことにそうであつただらうと思はれます。古伝の方は物足らず浅々と聞こえるために、誰も彼もが、あの唐籍の説にのみ心を引かれて『日本書紀』の御撰者の舎人親王をはじめ、代々の識者も、今に至るまで皆惑はされたのです。それがためにこの漢文の所を、道の真意と理解し、しつこく鬱陶しいほどに注釈を書き散らし、秘伝の口伝へと言ひ騒いでをつたものですが、まつたく浅ましく幼稚なものです。又「乾道は独化す、此の純男を成す所以」と言ひ、又「乾坤の道は相ひ参而と化す。故に此の男女を成す」とあります。これらの類の文も撰者の心でもつて『易経』の「十翼」などの文を採つて、新たに加へられた、利口ぶつた文です。また イザナギノカミを陽神と書き、 イザナミノカミを陰神と書かれたことなどもよくありません。これはこの頃は上も下も、ひたすらに唐めいたことが喜ばれた世であつたからでこそ、このやうに書かれたことで、はなゝゞ後の世の禍根となつたのです。その理由は後世の生半可な唐通の学者どもも、同じく悦んで、その生半可な学問故に イザナギノカミ、 イザナミノカミを、たゞ仮に名前を設けただけのもので、ご神体があるものではなく、実は陰陽造化を指して言つたものなのだと理解しました。ある者は周易の理論でもつて説き、陰陽五行でもつて説くこととなつたために、神代のことはみんな仮の作り事のやうになり、古の伝へはことゞゝく唐の思想に奪はれて、真実が見えないやうになつてしまつたのです。続く

防共新聞1151号(平成23年4月号より)より

 

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