【現代訳】古道大意下巻その四②

「大地球の天文地理」

そもそも天は動かず、地球が動き太陽を巡ると云ふことは、外国の説を借りる必要もなく、元から我が国の古伝でも明らかなことですが、天文地理のことに就いては西洋人が考へた説が一番詳しく、誰が聞いても分かりやすいものですから、今はその説によつて申し上げます。

地球の形はまん丸です。近ごろ占師などが持つてゐるものに、マリのやうにして、そこに国々を貼り付けて、その外に種々の輪を回したものがあります。あれは渾天儀と云ふもので、あの丸くして国を貼り付けたのがこの地球の形で、丸い物であるから地球と名づけたもので、地球の球の字はマリと云ふ字です。さて、その大地球の周囲は海と陸地とで出来てをります。身近なことで話せば、その窪みの所には水がたまつて海と川になり、また高い所は陸地で、中に飛び抜けて高いのが山と思へば間違ひがありません。ことわざに六海三山一平地と言つて、この大地の周囲が六分ほどで海、三分は山、一分は平地だと云ふことです。又あるいは海と陸地とは半々だと云ふ説もあります。

その大地球にある陸地を五つに分けて、第一をアジア、第二をヨーロッパ、第三をアフリカ、第四を南アメリカ、第五を北アメリカと言ひます。これを五つの大陸といい、また五大州とも申します。我が国、支那、タタール、インドなどはこの第一のアジア大陸の一部で、我が国からタタール、インドなどを合はせたほどの大陸がまだ四つもあると云ふことです。その五大陸を合はせたよりも、まだまだ海となつてゐる所は多いから、なんとめつぽう大きいものではないでせうか。それほどに大きな物がこの大空の中に浮き漂つてゐて、落ちることなく、上がりもせずにゐることをどうして考へ知つたのでせう。それは、前に言つたヨーロッパの人々は自由自在にこの大地球の周囲を船で乗り回し、国と云ふ国に行つてゐない所はありません。

そのヨーロッパの中でも、小国ながらオランダと云ふ国は、世界中を自由自在に航海するには、天文地理に詳しくなくてはならないことですから、これを第一の学問としたものです。その上にたいへんに気長にものを考へる国民性で、底の底までものを考へます。その考へるためにと、いろいろの測量の道具を作りました。たとへば日月星のありさまを見ようと望遠鏡や遮日鏡をつくりました。又その大きさ遠さ近さを知らうとして測量の道具を考へ出しました。考へ出すにも五年十年、若しくは一生もかけ、一代で考へは果たせないことには、自分の考へついた所までは書き残し、その後を子孫や弟子の者が、何代も何代もかけて考へるのです。その器械を用ゐて道理のあることやないことを考へつけようにとするのです。

しかしながらすぐれた国で、支那などのやうに推量の上すべりなことは言ひません。そのために、どう考へても知ることができないことは、これは人間としては知ることができないことです。造物主と云ふ天ツ神の御仕業でなくては推し量ることはできないことだ。とおし推量なことは言はないのです。その通りにして千年二千年の間に数百人の人々が考へに考へて、煎じ詰めた説が、書物となつて日本にも献上されて有るために、それを見て今このやうに話してゐるのです。

この地球が丸い物で、虚空の中に浮いてゐるのが間違ひない証拠とは、船で東へ東へ乗つて行くと西に出ます。これで丸い物体と云ふ説が動かないのです。そのやうに丸い物であれば、どこを上とも下とも言ひ難いやうですが、この丸く見える地球に、北極南極と言つて全く動かない所があります。これは例へば車に車軸があるやうに、又石臼にヘソがあるやうなもので、この外は星でも何でも巡りますのに、これだけは巡らない、それだから極と名づけたもので、極とはきわまると云ふ字です。この北極南極を中心にして上下を定め、三百六十に割ります。ただし少し余りが出ます。その三百六十余りをこの大地に割りつけて、その一つを一度と云ひます。一度の広さが日本の里数では大抵三十里程に当たります。天地の度数と云ふのはこのことです。この度数の当たりようで、寒国とも熱国とが分かり、それによつて国の善悪も定まる。我が国はこの天地の度数に当てはめて言へば、丁度三十度から四十度までの間に当たります。これは三百六十度の内では一番好い風土で、我が国の四季の気候が中正で過ごしやすいのはこのためです。さて一度を三十里として計算すれば、この地球の周囲は一万八千里です。又周囲が一万八千里あれば、その直径がお凡そ三分の一程ですから、三千四百四十里ばかりあらうと言ふものです。

この天文説が我が国に伝はつて、これを初めて世に広めたのが、長崎の西川求林斎と言ふ元禄前後の人です。この以前は天文地理や万国の事などは全く分からない、だらしのなかつたのものですが、あの誰もが知つてゐる『天経或問』と云ふ書を著し、また『華夷通商考』と云ふ万国の風俗などを載せた書を作つてこれを世に広めました。この外にもいろいろな著述があります。これから世間の人も万国のことをお凡そにも知るやうになつたのです。この人は愛しくも御国魂のあつた人で、その西洋の天文地理の説及び唐の説によつて、『日本水土考』と云ふ書物一巻を著したのです。

先ほど申したやうに、五大州の内の第二に当たるヨーロッパ諸国の人々は、この地球の全体を自在に乗り回して、万国の実態をよく見たり聞いたり尋ねたりして、その国々の風俗・産物・気質・土地柄のことまでをよく考へて、あのワラビの芽や、ミミズのやうなオランダ文字で詳しく記した書物が色々あるのです。それを我が国の言葉に翻訳して、万国のありさまを一目で見えるやうにしたものが、山村才助晶永の『増訳采覧異言』と云つて十二巻、しかも国々の図も付いてゐます。これは荒井筑後の守白石先生の『采覧異言』と言ふ書を増補したもので、実は公儀の支援で出来たものです。万国のことを知るにはこの位のことが分かれば十分です。

ただしこれには我が国のことが漏れてゐます。その訳は日本のことは誰でも知つてゐることですから、外国人の評価を聞くまでもない、と云ふことのやうです。これは実にもつともなことで、さうであるべきです。又我が国の事ですから、誰でも知つていさうなものですが、やつぱり知らない人の方が多いのです。これは普通の人ばかりではなく、学者と呼ばれる人が大抵このやうなもので、却つて我が国のすばらしいことを卑しめて見下し、外国が良いと心得てゐるとのはあまりなことです。例へば常に米の飯を飽きるほどに食べてゐる人は、それに慣れて何とも思はず、常に麦飯やヒエの飯ばかりを食べてゐる人々を羨ましがるやうなものです。

 

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