ナチスは独逸の神代派也 皇學舘大學 下山陽太

皇學館大學 下山陽太

皇學館大學 下山陽太

神話と之を奉ずる者は世界各国に存在するが、最終的には 皇国に帰一する。何故なら、皇国は世界の御祖であり、雛型であり、皇国の神話は世界の神話に他ならないからだ。本稿で取り上げるのはヒツトラーが率ゐた国家社会主義独逸労働者党即ち『ナチス』である。ナチスと云へば猶太人虐殺等で芳しくない印象を持つてゐる同志諸君は少なくないであらう。しかしながら愚生はナチスの一連の政策には一貫性があると観てゐる。すなはち其れは『復古』である。

ナチスが目指した復古とは、耶蘇教信仰以前のゲルマン信仰を取り戻すことにあつた。其のために耶蘇教を欧州から駆逐する必要があると考へたのである。即ち、第二次世界大戦は耶蘇教殲滅の宗教戦争であり、単なる領土簒奪でも世界征服でもない。ナチスの目指したものは古代ゲルマニアを地上に顕現し、耶蘇教に冒される以前のゲルマン信仰を取り戻すことであり、云はば其れは独逸に於ける復古であつたと考へるのが妥当であらう。其の事はニユルンベルクで執り行はれた第六回ナチス党大会でヒツトラーが『私の夢。其れは古代ゲルマン以来の失地回復であり、ヨーロツパ全土から東はウラルにまでおよぶ大帝国の建設である。当面の目標は大ドイツ。つまり全てのドイツ民族を含む大ドイツ帝国の建設である』と述べてゐることからも復古があつたと考へて然りである。復古のために多大な犠牲を払つてでも、復古断行しようとしたナチスを否定するのは無知であり、復古断行には犠牲が付き物であると云ふことを忘却してはならない。更に云へば、ナチスの復古への情熱は見習ふべきである。

そして、耶蘇教専制世界幕府に唯一立ち向かつたのはナチスであり、また、皇国であり、今尚、皇国はその使命に准じなければならない。ナチスは悪毒思想及び信仰を造成し、流してゐたユダヤ人を祓ふために決起したヒツトラー、世界皇化のために君民一体となつて起ち上がつた 皇国は一見すれば目的は異とするやうに見えるが、其の目的は思想及び信仰の刷新にあつたと考へるのが妥当であり、前述した通りそれは宗教戦争であり、思想戦争である。

皇国は思想的には日本主義、信仰的には本教(惟神大道)を本旨とする国家に修理固成をしなければならない。そして、日本主義とは破邪顕正であり、其れは 皇国のみならず、万国に於いて行ふものであり、其の果てに世界皇化がある。日本主義は破邪顕正であり、世界皇化であると云ふことを此処で断言したいと思ふ。ナチスの東部占領地域大臣であつたローゼンベルクは耶蘇教会の破壊を画策し、復古を目指した中心人物であり、彼は欧州からの耶蘇教信仰の去勢を目指したことは疑ふ余地はない。吾吾のやらうとすることは明治御一新のやり直しであり、復古であると愚生は思つてゐる。

昨今、ナチスが何かと話題になつてゐる。若し、仮にホロコーストなるものが存在したならナチスが行つた行為は民族的正当防衛であり、独逸民族を虐げてゐた猶太民族に対する反抗であり、其の行為自体は正当化され、然るべきであると云へる。更に云へば、神州の地に大量殺人兵器を投下した米国と仲良くしようとする連中がゐる自体、滑稽であり、笑ひ話にもならない。親米を唱へる連中は精神的売国奴であり、夷狄に他ならず、単に皇化すれば良いと云ふ訳ではなく、皇化と攘夷は表裏一体であると云ふことを忘却してはならない。

 

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