十年目の「竹島の日」 磯 和典

二月二十二日、今年も「竹島の日」に島根松江市まで行つて来た。私自身七回目の「竹島の日」である。そして、今年も山陰皇道社と行動を共にさせて戴いた。
今年は、戦後七十年、日韓国交正常化五十年、そして竹島の日制定十年と、節目のある年である。そもそも、この竹島、現在韓国に不法占拠されてゐることは、いまや日本国民なら誰でも知つてゐるであらう。竹島は日本海に浮かぶ孤島である。西島と東島の二島とその他数十の岩礁からなつてをり、総面積は日比谷公園とほぼ同じでそれほど大きくはない。東西両島ともに、断崖絶壁の島で、昔から飲み水の確保がしずらい等の理由で人間が定住するのは困難であつた。竹島はもともと「リャンコ島」と呼ばれる日本海の孤島で、どこの国にも属さない「無主の地」であつた。それが、明治三十六年、隠岐島の中井養三郎と云ふ方が、アシカ猟を始めたことから猟場として注目を浴びる。しかし、翌年の明治三十七年には既に過当競争の状態になり、そこで先の中井氏は、日本政府にリャンコ島の貸下げ願ひを出したのだ。そのため、明治政府は日露戦争の最中の明治三十八年一月二十八日、内閣決議によつて日本の領土とし、ときの島根県知事、松永武吉氏が「島根県告示第四十号」を公示し島根県に編入になり、島根県隠岐島司の所管となつた。以来竹島は日本国が実効支配して来たのである。
そして、愈々竹島が危機さらされ始めたのが、昭和二十年のことだ。日本は先の大戦に敗戦し、韓国は日本による統治からはづれ、日本に対し、過去の清算を求めるやうになつた。同年九月二十七日、連合国軍総司令部が日本漁船の操業区域を制限した境界線、通称マッカーサーラインから竹島が外れたことから始まつた。ついで、昭和二十一年一月二十九日、連合国総司令部は、鬱陵島・済州島と共に竹島を韓国領と明記した「訓令第六七七号」を公布した。しかし、日本はアメリカに対し、竹島は日本領であると主張、その結果サンフランシスコ平和条約のなかで「マッカーサーライン」を廃止し、竹島は日本領に復活したはずだつた。そこで韓国は、サンフランシスコ平和条約の発効より前、同年一月十八日に自国の海洋主権を主張するため、当時の大統領、李承晩が「李承晩ライン」と称してラインを定め、そのなかに竹島を含めたことから、領有問題に発展した。更に、翌昭和二十八年一月、李承晩大統領は「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船を拿捕を指示し、翌月の二月には日本の第一大那丸が拿捕され、漁労長が射殺される事件が起こつた。その後も日本漁船の拿捕と乗組員の抑留が続いた。それに対し、日本は抗議し拿捕された漁船の返還を求めたが、韓国側は「李承晩ライン」を国際法上問題のないものとして、要求を退け、昭和二十七年二月から始まつた日韓国交正常化交渉が決裂が続いた。続く昭和二十九年八月には、韓国政府は、竹島に海岸警備隊を派遣、無人灯台に点灯を行つた。勿論日本は強く抗議したが、韓国に受け入れられず、武力占拠の始まりである。更に、月日は流れ、平成八年に竹島に接岸施設を建設し更に翌年には有人灯台を設置した。この時日本政府は韓国に対し抗議しなければいけなかつたののも関はらず時の橋本総理は外交問題とするこを避け、言及しなかつた。更に、平成十七年、韓国で開催された日韓首脳会談で、芦武鉉元大統領は、小泉元首相に対し歴史問題を取り上げたが、元首相は竹島問題には触れなかつた。芦大統領から竹島問題を引き出せば領土問題は存在しないとする韓国の主張を崩すこたが出来たのにも関はらず、なぜ小泉首相は言及しなかつたのか?同じ平成十七年二月から「竹島の日」を制定しようとしてゐた島根県は、竹島に関連したテレビCMを放映し県民の関心を高めようとした。二月十六日の島根県議会では「竹島の日」条例案が通過。三月十六日には条例案が成立した。
しかしなぜ「竹島の日」は国でなく島根県が制定した条例なのか。それは、「竹島問題」は未来永劫触れないで置かうと云ふ昔の自民党の政治家の考へが今も浸透してゐるからであらう。過日の三月十二日のインターネットニュースでは、自民党の二階俊博総務会長は、平成二十八年開催予定の韓国の麗水国際博の成功に向け、一四〇〇人の訪問団を率ゐて韓国入りし、竹島を「地図に見えないほど小さい島」などと言ひ、更に「隣国のイベントの成功に向け力を合はせよう」、「地図にも載つてない島のことで大切な隣国ともめるな」と言ひ放つた。とても日本の国会議員のセリフとは思へない売国的発言である。
島根県は毎年「竹島の日式典」を実施してゐる。松本内閣府政務官が出席し「問題解決のため、全力で取り組む」と云ふ政府の意志を述べたやうだ。三年連続で高官を派遣した日本政府は満足かもしれない。しかし、自民党が政権を取り返す際の選挙公約には「竹島の日」は国がやると言つてゐたはずである。首相や外務大臣、国土交通大臣も来てゐない式典に、行政が式典に税金を投入したパフォーマンスに思へてならない。ようやく国民の意識も高まつて来てゐるこの時期に、一刻も早く、竹島を取り返すべく国民のより意識醸成と、売国政治家を追ひ払ひ、真の国のために動く政治家を選んでいく「眼」が必要である。(参考文献 東洋経済新報社 島国ニッポンの領土問題)

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