支那の覇権性と革命

隣国の支那が覇権性をもつて日本を脅かしてゐる事に憂いてゐる事を良く耳にするが、支那の覇権主義は何も突如起つたことではない。支那は有史以来覇権国家なのである。しかもその国情は常に革命と結ばれてゐる。

近代の革命と言へば、フランス革命、ロシア革命、辛亥革命を思ひ浮かべるだらう。

フランス革命は「自由・平等・博愛」のもとに王制を打倒し、身分的特権の支配に代る「財産の特権」による支配をうちたてた。その後のロシア革命は、フランス革命は所詮ブルジョア革命にすぎないと批判し、共産党宣言の冒頭にあるやうに「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」とし、王制を打倒し、「神」や「理性」や「英雄」によつてではなく、被搾取階級の搾取階級に対する闘ひ、と位置付け資本家と労働者の経済的利害が革命の原動力となつた。一方で我が国と隣接し歴史的にも関係が深い支那の辛亥革命は、欧米列強から「最後で最大の植民地」と狙はれ、それを防御するために日本の明治維新を真似て清朝を残し民主的な「議会」を開設する事に奔走したが、結果は清朝は倒された。その後、「皇帝」が再び立つ事はなかつた。よつて辛亥革命は西洋革命の模倣であり、その西洋思想に毒された支那は、後に西洋から発した共産主義が生まれても何ら不思議ではないのである。その革命方法は始皇帝から何も変はらない。

日本は歴史上の大改革とは皇道維新であり、西洋や支那の革命とはほど遠いとの認識をもたねば、維新と革命の区別が有耶無耶になつてしまふ危険が生じるのである。

日本人は支那などの覇権国家と対等な野蛮な対峙意識を捨て、神州不滅を信じ、万国の邦国たる自覚を持たうではないか。

 

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