【現代訳】古道大意上巻その二③続き 下巻その一①

さて神代の神たちも多くはその代の人で、その代の人は皆神神しくあつたがために 神代と申します。また人でなく物では、雷は常に鳴る神と言いますので、本より神であることには異論がありません。また龍、天狗、狐などの類も特殊で不思議で畏れ多いものであるために、これも神です。また虎や狼も神と申したことは、『日本書紀』や『万葉集』等に見えます。イザナギノカミは 桃子に オオカムヅミノミコトという名を賜り、またお首の玉を ミクラタナノカミと申されたなどのこともあります。また神代記や俗に中臣祓と伝えられている大祓の詞にもあるとおり、磐根、木の根、草の根などが神代にものを言つたことがあります。これも神です。

また海山などを神と言うことも多いのです。それはその御霊の神を言ふのではありません。直にその海をも、山をも指して神と申したもので、これらも山は高くそびへ、海は深く渡るにも越すにも大変に畏きものであるがために、神と申したのです。そもそも神と申す古の心を尋ねますと、このやうな種々様々で、貴いのもあるが賎しいものもあり、強いものもあるが弱いものもあり、善いこともあるが悪いこともあります。心も行ひもそのさまざまに従つてまちゝゝです。その貧しく賎しい中にも段階があつて、最も賎しい神の中には、徳が少なくて、凡人にさえ負けるものさえをります。それはあの狐などは怪しいことをなすことは、いかに賢く巧みな人といへども、及ぶべきもなく、実に神です。しかしながらまた常に犬などにさえ制せられる賎しい獣です。そのような類の一向に賎しい神の上をのみ思い比べて、いかなる神といへども、道理をもつて向かえば恐れることはない思ふ人も世の中には多いのですが、これらは尊いことと、賎しいこと、その威力に大きな違ひがあることをわきまへていないと間違ひです。

このやうなわけですから、神と申すものは、一様に定めては申しがたいものです。そうであるから世の人は神様を、外国のいわゆる佛菩薩、聖人などと同類のもののやうに心得て、その理論で神を推し量らうとするのははなはだしい間違ひです。悪く、邪な神は何事も道理と違つた所業のみが多いのです。また善い神だと申しても、事に当たつて、正しい道理でなければ、程度によっつては、お怒りなさるときは、御荒びなさることもあります。それは 宗神天皇の時代に三輪の大物主神の疫病を御払ひなされたことなどを思ひだしていただきたいのです。悪い神でさえ御心をなごました時は、幸いを御恵み下さることが、もう絶えて無くなつたといふのではありません。また人の上にとつては、その所業がそのときは悪く思はれることも、本当は善いこともあります。善いと思はれることも、本当は悪いことであることもあるのです。すべて人の智には限りがあつて、真実のことは知り得ないことであつて、とにかく神の御上はみだりに推し量つて言ふべきものではないのです。ましてや善いも悪いも。特に尊く優れた神神の御上に至つては、いとも不思議で奇々妙々におはしますために、さらに人の小さい知恵でその真実は千重の内の一重も測り知ることは出来ないのです。ただその尊さを尊び、かしこきをかしこみ、恐るべきを恐れるべきです。

日本のカミ・シナ(唐)の神

さて我が国の古、カミといふのは、右のような意味であるのを、はるか後の時代に、シナ(唐)の文字が渡つてきて、その「カミ」といふ言葉へ「神」の字を当てたものです。これはよく当たつてゐると申しますが、七八分は当たり、二三分は当たつてゐません。それには訳があります。それはまず、我が国で「カミ」と言ふのは、必ずその実物をさしてのみ言ふのであつて、紛らはしいことはないのです。しかしながらシナ(唐)で「神」の字の使ひ方は、実物の神を指して言ふばかりではなく、ただそのものを誉めて不思議といふやうな意味にも用ゐます。たとえば神剣といふときは不思議な剣といふこと、神亀といへば不思議な亀といふことになるのです。我が国で神と言ふときは、必ず実物を指して言ひますから、ここに違ひがあるのです。

ただし また一つ我が国の言葉に「神何」と神の字を上につけて言ふことがあります。それは神ワザ、神ハカリ、神イザナギノカミなどの類であります。いづれにしても誉めて言ふ、いわゆる尊称です。もつともこれは「カミ」と言はないで「カム」と読むのです。一体我が国は言葉の国で、元は神字の「カナ」のみあって、シナ(唐)の漢字のやうな道理のある字はなく、言葉のみを旨として伝へてきたところへ、漢字が渡つて来て、その漢字を我が国の言葉へ当てたものですから、道理の分かりやすいのも出来ましたが、折り合いがつかない言葉も多くあります。

それは段々とお聞きになるうちに、追々とご理解がいくことです。しかしながら世の常の学者等が、このやうな訳も知らないで、漢字の道理にばかりしがみつき、それに馴れてしまつてゐます。私が真実を説けば、誤りがあることもおびただしいのです。

下巻その一①

神代の伝説の正しさ

さて先日の講説に申したとほり、世の始めに大虚空の中に漂つた「一つの物」より、葦の芽のやうに萌え上がつて「天」になりました。その天の根となつてゐる「一つの物」の底にも、また「一つの物」が垂れ下がり、それから クニノトコタチノカミと トヨクムヌノカミとがお生まれになつたのです。その垂れ下がつた物を根の国とも根堅洲国とも申しましたが、これが後に切り離れて、今眼の前に見える「月」となつたのです。

さてその「天」は、その萌え上がりの初めより、澄み明らかな物であつたところに、今また

天照大御神がお治めになられて、その御光が照り徹つてますゝゝ明らかなのです。

さて、この天照大御神が高天原をお治めになられたお伝えを、世の神道学者などが「天と言ふのは都のことで、すなはち天照大御神を天子の位につけたことを、天へ送り上げたと言ふのだ」などと、小賢しいことを言ひますけれども、みんな心にまかせた戯れ言です。天ツ神のお伝へ、古の

天皇命の篤いおぼしめしで、正しくまことをお伝へされた神の事実を紛らはせた、その罪は軽くないのです。

さて ツキヨミノミコトを、夜の食国を治めよと仰せられ、「月」を治める神となられました。ここにおいて イザナギノミコトは、初めに タカミムスビノカミより勅命をお受けなされ、ご功績をたてられたために、すなはち再び天にお上りなされて、その功績をミオヤノカミへ申し上げられ、この後永く天上にある、日の少宮にとどまつてをられました。

さてこの イザナギノカミの御目より、月日の神のお生まれになられたといふことと、よく似た説がシナ(漢)の古い伝説にもあるのです。それは天地の始めの時に盤古氏という者が出て、その盤古氏の左目が日となり、右の目が月となつたなどといふ説があるのは、これは我が国の古伝説の受け売りながらも、シナ(漢)にも伝はり残つたものと見えるのです。  ただし、ここに一人私の説を非難する者がゐて申すには、「先刻から承るところが、神代の事を講説されますのに、随分外国の似通つた伝説を引き合ひに出して申されますが、まづそのやうに外の国々にも、我が国の古伝説と同じやうな説があつては、我が神代の伝説が正しいとも言ひ切れますまい。なぜなら、もしその外国の人々が、一つ所に集合して、各々その国の古伝説を語り出したときに、どの国も我が国の伝へが正しい。我が国が本だ、我が国は日の神の御本国だなどと言ひ争つたなら、誰がそれを判断して決めることができるでせう。天地の始めの時より、生きてゐる人はありますまい。それに外国の説は誤りで、我が神代の説ばかりが正しいと言ふのでは、我が家の本尊が尊いと言ふやうで、えこ贔屓が過ぎるやうですが、どうでせうか。又そのように紛らわしい説が、ここにもかしこにもあつては、いづれが正しいとも過ちとも、定めがたいことですから、神代の事をもひつくるめて、ますは信じない方がましではありませんか」と非難したのです。

このやう非難されたのでは、周りから見ては、ちと困るだらうと思はれませうが、一向に困るわけではないのです。ここがかへつて学問の徳が見えるところで、則ちこれに答へて言へば、まず右のように紛らはしいところも、学問の眼をもつてすれば、その真偽はたちまちに見分けられることです。

これを例えれば、定家卿が小倉山の山荘で書かれたのは、本より一首が一枚づつでなければならない筈のものですが、ところが管家の歌にしても、蝉丸の歌にしても、その一枚しかないものを、十人が持つてゐて、各々これが本物だ言ひ争つてゐます。大変に紛らはしいやうですけれども、古筆鑑定など目が利いた人は、それをことごとく見分けて、十枚の内から一枚の本物の色紙を見い出すのです。この例のやうに、それを見分けることができず、全て偽物であらうと捨てるのは、それは利口のように聞こえますけれども、見分ける眼が備はつてゐませんので、未だ熟練者ながらも、行き着くところまでには至つてゐないといふものです。そうであれば神代の伝へが、外国にも似たやうな説があるのでは紛らはしい、と信じないのもこれと同じことです。

学問もそのやうに、よく公に学んだ精密な古と、今に通じるべき眼を見開き、事実と古に照らして考へる時は、この位のことは何の苦もなく分かることです。だから我が神代の古伝説は、例へ外国に似た伝説が数多あつたとしても、自づからの事実に照らしてみれば、不動のことです。

ではなぜその誤りがちな外国の説を引用するのかと言へば、これが足代といふものです。足代とは、小賢しい人で古伝説を疑う者を諭すには、誤りであつても、外国にも似た事があることを聞かせれば、考へ合はせて、諸々の国々が言ひ合はせたやうに、実にこのやうな伝へがあるならば、何れかはあつたことに相違がないと言ふ心が出来上がるのです。その心が出来上がつた上で、其れと之とを考へ合はせて、諸々の国に言ひ伝へのある説の中で、我が国の古伝説が真実と、疑いが速やかに晴れる人も、あるものです。

外国の似た説を引くのは、真実を知らしめるためであり、真実を得た上では、もはや外国の引用は無用となります。

これは佛書の譬へですが、月の場所を教へやうとするには、指を差し上げて、あそこだよと言つて教へますが、その人が月を見つけた時には、その差した指は、もういらないために引いてしまう。ちようどそんなもので、外国の似ている説を引用するのは、我が国の古伝説を見つけさせようと、指さしてお教へする指だと思はれるがよろしいのです。

防共新聞一一五四号(平成二十四年一月一日)より