【2/11】「即位建都の詔」渙発あそばされて二千六百八十三年

本日は紀元節。 天皇尊すめらみことにおかれましては橿原神宮へ勅使を遣はされました。 明治五年、太政官布告によりて 神武天皇が即位した日をもつて紀元とし、宮中皇霊殿では 天皇親祭の祭儀が行はる。

即位建都の詔

三月(やよひ)、かのとのとりの朔、ひのとのうの日、令(のり)を下してのたまはく、我東(ひがし)を征(うち)しより、こゝに六年(むとせ)なり。皇天(あめのかみ)のみいきほひをかうふりて、凶徒(あた)ころされぬ。邊土(ほとりのくに)いまだしつまらず、餘妖(のこりのわざはひ)なほ梗(あれ)たりといへども、中洲(うちつくに)の地(ところ)また風塵(さはぎ)なし。まことによろしく皇都(みやこ)をひろめひらき大壯(みあらか)をはかりつくるべし。しかるにいま、運(とき)此屯蒙(わかくくらき)にあひ、民(おほみたから)のこゝろ朴素(すなほ)なり。巢(す)にすみ穴(あな)にすむ、すむしわざ、これ常となれり。かの大人(ひじり)制義(のりのことはり)をたつ、かならず時のまにまにいやしくも、民(おほみたから)に利(くぼさ)あり、なんぞ聖造(ひじりのわざ)にたがはん。且まさに山林をひらきはらひ、宮室(おほみや)ををさめつくりて、つゝしんで寶位(たかみくらゐ)にのぞむべし、もて元々(おほみたから)をしづむべし。上はすなはち乾靈(あめのかみ)、國をさづけ給ふ德(うつくしみ)にこたへ、下はすなはち皇孫(すめみま)正(たゞしき)をやしなひ給し心(みこゝろ)をひろめん、しかうしてのちに、六合(くにのうち)をかねてもて、都をひらき八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせんことよからざらんや。みれば、かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみ)のすみ橿原(かしはら)の地(ところ)は、けだし國の墺區(もなか)か、みやこつくるべし。

紀元節の歌(明治二十六年文部省告示)

雲に聳ゆる高千穂の 高峯おろしに草も木も 
なびき伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそたのしけれ