平田大壑翁は『この御国自然の風は、今の身の繁昌、子孫の長久を悦び、長寿を願ひ、万事賑々しく、物の盛りなるを好み、勇ましき国風で、かりにも無常を観じ、衰を悦び、寂滅を以て、楽みとするするやうな人は、神の御心として、生れ出ぬわけでござる』と、皇国の教法について述べてゐる。そして、皇国の教法を阻害するものとして、仏教仏道を挙げ、其れらの本質を『さて仏道の本意は、此の世を汚土火宅といつて厭ひ捨て、君臣の道をも取らず、親妻子の愛情を忌み嫌ひ、その家を出て山に入り、樹の下や上を住所として、ひもじくなれば乞食をして食ひ、衣服は人の捨てたる汚れつぎや古褌を拾つて著て、死ぬ時も所を選ばず、野でも山でものたれ死になりとしてその屍も彼の一休和尚の歌に「わがからだ、焼けよ埋もと、野に落ちよとやせたる犬の腹をこやそと」といつたる通りに、命や体にさへ執着せぬといふが仏道の本意ぢやが、何と、これが我が神の御道の君臣の道を重んじて、親妻子をいつくしみ、先祖の崇りを絶やせまいと、その家を大切にして、子孫を繫昌にし、またその身の程々に出世を喜びて、清きが上にも清きを好む御国の道と同じ年にもいへようか。さうはいへまい』と申し上げてゐる。
即ち仏教仏道(仏意)とは、惟神大道・皇国の国風に背反する教へであり、断乎として排撃しなければならないものであると考へる。そして、皇国体学者で著名な三井甲之・蓑田胸喜は念仏宗を、田中智学・里見岸雄は日蓮宗を信仰してゐたが、抑々、親鸞・日蓮で神州たる皇国の国柄即ち国体を闡明にしようとすること自体、見当違ひも甚だしい。皇国が仏為で肇国されたのなら分かるが、皇国は神為で肇国された御国であるからこそ、神州・神国と云ふのである。
神代派は大化の改新・明治御一新を宗教改革・宗教維新として捉へ、仏教仏道の抹殺こそが維新の本旨である。其れなくして、神州顕現・高天原建設は有り得るだらうか。其は否。神代派は仏教仏道との対決即ち宗教戦争を担当するのが使命である。神事と云へば神社・家庭に於いて行はれてゐる祭祀が典型的例であるが、毫も忘却すべからざることは、廃仏も神事の一環であり、神恩感謝とは、現世に於いて高天原を建設することであり、其の理念は天照皇大神の五大神勅であることは問ふまでもないであらう。
神代派が主張する廃仏とは、皇国体洗浄・一億皇民救済を意味し、其れらが高天原建設に繋がると断言する。廃仏と高天原建設は密接不可分であり、仏意が混在する高天原とは神典汚辱・神威低下を招いてしまふことは明白である。
そして、君民一体となつて、元寇を退治したが如く、平成の御宇に於いて風の神であらせられる級長津彦神を御祭りし、神風喚起を祈願し、仏教を根絶させようではないか。廃仏こそが、神孫皇民としての使命であると共に皇学探求をする者の責務であると思つている。
皇學館大學 下山陽太