※王政復古の大号令渙発百五十年を迎へ明治元年の詔を謹み敬ひてここに記す。
氷川神社を武藏國の鎭守と爲すの勅語
崇神祇重祭祀、皇國大典、政敎基本。然中世以降、政道漸衰、祀典不擧、遂馴致綱記不振。朕深慨之。方今更始之秋、新置東京、親臨視政。將先興祀典、張綱紀、以復祭政一致之道也。乃以武藏國大宮驛氷川神社、爲富國鎭守、親幸祭之。自今以後、歳遣奉幣使、以爲永例。
【謹譯】神祇を崇び、祭祀を重んずるは、皇國の大典、政敎の基本なり。然るに中世以降、政道漸く衰へ、祀典擧らず、遂に綱記の不振を馴致す。朕、深く之を慨す。方今更始の秋、新たに東京を置き、親しく臨みて政を視る。將に先づ祀典を興し、綱紀を張り、以て祭政一致の道を復せんとす。乃ち武藏國大宮驛氷川神社を以て、當國の鎭守と爲し、親しく幸して之を祭る。自今以後、歳ごとに奉幣使を遣し、以て永例となす。