本日は紀元節。 天皇尊におかれましては橿原神宮へ勅使を遣はされました。 明治五年、太政官布告によりて 神武天皇が即位した日をもつて紀元とし、宮中皇霊殿では 天皇親祭の祭儀が行はる。
即位建都の詔
三月(やよひ)、かのとのとりの朔、ひのとのうの日、令(のり)を下してのたまはく、我東(ひがし)を征(うち)しより、こゝに六年(むとせ)なり。皇天(あめのかみ)のみいきほひをかうふりて、凶徒(あた)ころされぬ。邊土(ほとりのくに)いまだしつまらず、餘妖(のこりのわざはひ)なほ梗(あれ)たりといへども、中洲(うちつくに)の地(ところ)また風塵(さはぎ)なし。まことによろしく皇都(みやこ)をひろめひらき大壯(みあらか)をはかりつくるべし。しかるにいま、運(とき)此屯蒙(わかくくらき)にあひ、民(おほみたから)のこゝろ朴素(すなほ)なり。巢(す)にすみ穴(あな)にすむ、すむしわざ、これ常となれり。かの大人(ひじり)制義(のりのことはり)をたつ、かならず時のまにまにいやしくも、民(おほみたから)に利(くぼさ)あり、なんぞ聖造(ひじりのわざ)にたがはん。且まさに山林をひらきはらひ、宮室(おほみや)ををさめつくりて、つゝしんで寶位(たかみくらゐ)にのぞむべし、もて元々(おほみたから)をしづむべし。上はすなはち乾靈(あめのかみ)、國をさづけ給ふ德(うつくしみ)にこたへ、下はすなはち皇孫(すめみま)正(たゞしき)をやしなひ給し心(みこゝろ)をひろめん、しかうしてのちに、六合(くにのうち)をかねてもて、都をひらき八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせんことよからざらんや。みれば、かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみ)のすみ橿原(かしはら)の地(ところ)は、けだし國の墺區(もなか)か、みやこつくるべし。
紀元節の歌(明治二十六年文部省告示)
雲に聳ゆる高千穂の 高峯おろしに草も木も
なびき伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそたのしけれ