岡山市中區東山に在る野中四郎大人命の墓前で、陸軍歩兵大尉野中四朗大人命八十二年祭が齋行された。
昨年同様に野中大人命の遺書と妻のお詫びの言葉を以下に掲載する。
手紙には二二六事件によつて、昭和天皇の御宸襟を悩まし奉り下した事への大罪の意識が読み取れる。また大罪を自覚し即自決したのは事件を起こした者の中でも野中大人命のみである。
野中四郎遺書
実父勝明に対し何とも申し訳なし。老来益々御心痛相掛け罪。万死に値す。養父類三郎、義母ツネ子に対し嫡男としての努めを果さず不幸の罪重大なり。俯して拝謝す。妻子は勝手乍ら宜しく御頼み致します。
美保子大変世話になりました。貴女は過分無上の妻でした。然るに此の始末御怒り御尤もです。何とも申し訳ありません。保子も可哀想です。かたみに愛してやって下さい。井出大佐殿に御願いして置きました。
皆様へお詫びの言葉
私は四郎の妻美保子でございます。いま私は夫の霊前で皆様に対して相済まぬ心に苦しみながらこれを認めました。このたびは夫たちが大事をひき起こしまして上は畏くも陛下の御宸襟を悩まし奉り下は国民皆様にこの上ない御心配をおかけ申しまして誠に誠に御詫のしようもございません。殊に東京市民の皆様には四日の間大変な御迷惑をおかけしました。また一同の犠牲となつて尊いお身をあえなく失はれました高位の方々をはじめ警察官の皆様にはほんとうに何と申し上げてよいのかわかりません。いまは冷たい骸となって私の前に横たわっている夫もきっときっと皆様に深くお詫び申していることと思ひます。私も皇軍の一員たりし四郎の妻でございます。私は夫を信じていました。夫のすることはみな正しいと思ふほど信じてをりましたのにこの度の挙に出てこの様な結末をみました。私は夫の所信をどう考えてよいのか私の心私の頭は狂つたやうで解りません。でも夫は終始お国のことを思いながら立ち、しかして死んだと思ひ私は寸毫疑ひたくありません。しかしながらいまは反乱軍の一員として横たはつています。それが私には悲しくて悲しくてなりません。夫は軍人として一切の責を負つて立派に自決してはてました。けれどこれくらいでこの罪亡ぼしはできません。妻としての私はただただお詫びの心に苦しみながらいまは深く深く謹慎致してをります。どうぞ皆様、仏に帰った夫の罪をお許し下さいませ。四郎の妻として私はそれのみ地に伏してお願ひ申してをります。
昭和十二年三月二日
野中美保子