今を去ること百四年前、独逸国ニ対スル宣戦ノ詔書渙発あそばされた。所謂第一次世界大戦参戦である。
独逸国ニ対スル宣戦ノ詔書
天祐を保有し、萬世一系の皇祚を践める大日本國皇帝は、忠實勇武なる爾、有衆に示す。
朕、茲に獨逸國に対して戦を宣す。朕が陸海軍は宜しく力を極めて戦闘の事に従ひ國際條規の範囲に於て、一切の手段を盡し、必ず遺算なからむ事を期せよ。 朕は、深く現時欧洲戦乱の秧禍を憂ひ専ら局外中立を確守し以て東洋の平和を保持するを念とせり。此時に方り、獨逸國の行動は遂に朕の同盟國たる大不列顛國(グレート・ブリテン)をして戰端を開くの已むなきに至らしめ、其租借地たる膠州灣に於ても、亦、日夜戰備を修め、其艦、濫りに東亜の海洋に出没して帝國及び與國の通商貿易の為めに威厭を受け極東の平和は将に危殆に瀕せり。
茲に於て朕の政府と大不列顛(グレート・ブリテン)皇帝陛下の政府とは相互隔意なき協議を遂げて、両國政府は、同盟協約の豫期せる全般の利益を防護するが爲め、必要なる措置を執るに一致したり。朕は此目的を達せむとするに當り、勉めて平和の手段を盡さむ事を欲し、先づ朕の政府をして誠意を以て獨逸帝國政府に勧告する処あらしめたり。
然れども所定の期日に及ぶも、朕の政府は終に其の應諾の回牒を得るに至らず。
朕皇祚を践て未だ幾くならず、且今尚皇妣の喪に居れり。恒に平和に眷々たるを以てして、而かも竟に戰を宣するの已むを得ざるに至る。朕深く之を憾とす。
朕は汝有衆の忠実勇武に倚頼(いらい)し、速に平和を克復し、以て帝國の光榮を宣揚せむことを期す。
御名御璽
大正三年八月二十三日
この戦により約三百名が英霊となられた。
なお、第一次世界大戦終結後二十三年のちに米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書が渙発あそばされた。