二二六事件を再考す

今日は二二六事件より七十七年の歳月が経つた。
陸軍の青年将校たちが、憂国の情熱にかられ「蹶起趣意書」を以て所謂クーデターを起こした事は、いまさら説明を要しないところだ。
同情的な側面から見て、当時の世情や軍の上層部の腐敗がそうさせたにせよ、理性的な側面から見れば、本当に「大義」はあつたのかを考へてみたい。
阿南惟幾陸軍大将は所謂二二六事件を「帝都不祥事件」とし、当時陸軍幼年学校で生徒に対して訓話を残してゐる。
要約すると、
其蹶起の主旨は現下の政治並社会状態を改善して皇国の真姿発揚に邁進せんとせしものにして憂国の熱意は諒とすべきも其取れる手段は全然皇軍の本義に反し忠良なる臣民としての道を誤れり。
として将校の心情に一定の理解をしめすものの
忠臣大楠公の尊氏上洛に処する対策用いられず之を湊川に邀撃せんとするや当事に於ける国家の安危は到底昭和の今日の比に非ざりしも正成は尚御裁断に服従し参議藤原清忠を斬るが如き無謀は勿論之を誹謗だにせず一子正行に桜井駅遺訓す。
と楠正成公の忠君とは全く違ふものと断罪し
事件最後の時機に於て遂に 勅命下るに至る。誠に恐懼に堪へざる所なり。如何なる理由あらんも一度 勅命を拝せんか皇国の臣民たらんものは啻に不動の姿勢を取り自己を殺して 宸襟を悩まし奉りし罪を謝し奉るべきなり。
と賊軍となつたからには自ら死を以て、大御心を悩また罪を償はなければならないとした。
如何なる忠君愛国の赤誠も其手段と方法とを誤らば 大御心に反し遂に大義名分に戻り 勅諭信義の条下に懇々訓諭し給える汚命を受くるに至る諸子は此際深く自ら戒め鬱勃たる憂国の情あらば之を駆って先ず自己の本分に邁進すべし。
と忠君愛国の赤誠も憂国の情も、方法と手段を誤れば不忠なると戒めた。
決起した青年将校の中で、詔を大奉して己の大罪を認め、即時自決をしたのは野中四郎大尉のみであつた。
因みに阿南惟幾陸軍大将は陸相として終戦の詔書に同意し、徹底抗戦派を諌めて
一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツツ
と書き残し自決してゐる。阿南惟幾陸軍大将のいふ大罪とは色々と説はあるが、御一新より創設された名誉と伝統に輝いた皇軍が滅びゆく責任は、我にありといふ意味が一番近いと思はれる。
上に記したやうに現時に於いても、正しく「尊王」を叫ぶものは、その一に「賊」になることを恐れねばならない。
また己を「○士」と自認するものは、尊王の大義を追及し、政治に深い関心を持つてはならぬと言ふ事であらう。
※○に入れる文字は、武でも志でも兵でも良し
けふ詠みし歌
討奸を 叫びて起ちし 将校の きのどくあれど 大義見まがふ
追加の歌
尊王と 露をあやして 決起せり その赤誠を いつか知らさむ