夏の参議院選挙は、世間の噂やマスコミの予想通り自民党の圧勝で終はつた。
共産党の議席数も大幅に増へたが、所詮野党の底辺から這ひ出す事が出来ず、恐るるに足りない政治的無害勢力と断じても良いだらう。
さて、選挙とは民主主義の象徴であることは言ふまでもない。その民主主義とは戦後に「アメリカから有難く頂いたモノである。」とは世間一般の認識になつてゐる。
しかし、昭和二十一年一月一日の「國運振興の詔書」には、
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。
曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日
と詔書の冒頭に五箇条の御誓文が記されてゐる。
終戦直後の國運振興の詔書は所謂「人間宣言」であるとの誤謬が現在にも伝へられてゐるが、
昭和天皇はその後記者との対談で、國運振興の詔書の御真意を次のやうに仰せあそばされた。
「民主主義を採用したのは、明治大帝の思し召しである。しかも神に誓はれた。さうして“五ヶ条御誓文”を発して、それがもととなつて明治憲法ができたので、民主主義といふものは決して輸入のものではない、といふことを示す必要が大いにあつたと思ひます。
そして、日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思ひましたから、日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいふ立派な 明治大帝のお考へがあつたと言ふことを示すために、あれを発表することを私は希望したのです。」
畏れながら 昭和天皇の仰せの通り、日本の民主主義とは決して「戦後にアメリカから有難く頂いたモノである。」ではなく、 明治天皇の思し召しの政体なのである。
明治以降の政体は五箇条の御誓文に基づいた憲法があり、日本民主主義を顕かに著してゐるのである。これは詔であり国民が挙つてそれに従ひ歩まねばならない。
民主主義の第一は選挙である。本来は選挙権ある者は挙つて投票行動を取らねばならぬが、現時はアメリカ制の民主主義と思へば、足が遠のくのも日本人として自然の理である。政治とは所詮「まだまし」論であり、投票に値する政党や人物がゐなければ「白票」といふ行動も一つの選択肢である。白票は法律上無効事由ではなく立派な主張なのである。(現時の見解では無効となつてゐるが)
日本独自の民主主義を色鮮やかに戻すためには、大日本帝国憲法復元が一番望ましく、その下での選挙であるならば日本らしい政治も期待できよう。