和歌と大和心

DSC_0661二十日、港区青山に建つ大東会館にて第八十七回歌道講座が行はれた。
講師は福永眞由美先生。参加者は約二十名。
講座では二十三首の歌が吟じられ、福永先生がそれぞれの歌を指導添削し、その後無記名で一人三首を番号で選び、天・地・人を決めると言ふ流れである。

歌はそれぞれ詠み手の特徴が現れ、身近な出来事から尊皇心溢れる歌まで多様である。
和歌と大和心は一体であると言はれてゐるのは、古来から日本人は素直な心が宿つてゐるからである。その素直な心を日本独自の五、七の調べで顕はすのが和歌であり、素直な歌であればあるほど大和心が溢れ出ると言ふ。

DSC_0662筆者も一首吟じたが、古語に拘り過ぎて言葉が通じず、先生より有難い叱咤を頂き、一枚の資料を渡頂いた。またその資料の語句の大切な部分に、わざわざ赤線を引いて下さつた。和歌を詠むのに非常に大切な事が書いてあるので、その語句を以下に記してみたい。

吉野秀雄曰く「短歌の表現には、おのおの知つてゐるだけの言葉を慎重に用ゐれば足りる。語彙の多いことは便利だが、語彙の少ないことを悲観する必要は豪もなく、難渋しながら吃吃とした口調で作る歌もなかなか捨てがたいものである。言葉に関する知識も、結局は人間自身の力量に俟たねば本当には身につかず、正しく自由な運用は不可能であるから、口真似したり柄にない珍語に飛びついたりせずに、おひおひに学び取るべきである。古語と新語との区別なども考へるには及ばず、ただただ必死に真実を伝へるにふさはしい詩語をこそ求むべきである。」と。

筆者の一首は

あさひこをおも一杯(ひとはた)に浴(あら)ぶらめば厭(いと)はし事のおもひわするる。(添削前)
朝の陽をおも一杯(いつぱい)に浴(あ)びたれば厭はしき事のおもひわするる。(師添削)

次回は先生の注意点を思ひ出しながら詠んでみたい。