本日は日露戦争終結の日より一〇九年

戦艦「三笠」は黄海海戦及び日本海海戦と日露海戦を通じて連合艦隊旗艦をつとめた

戦艦「三笠」は黄海海戦及び日本海海戦と日露海戦を通じて連合艦隊旗艦をつとめた

日露戦争(明治三十七年二月八日から明治三十八年九月五日)は明治維新以降、大詔を奉戴した御戦の一つである。

近年は靖国神社と言へば、大東亜戦争が多く語られてゐるが、日露戦争など、大詔を奉戴して外つ国と戦ひ、斃れし皇兵が英霊として祀られてゐる事を忘れてはならない。

日露戦争開戦の詔書

天佑ヲ保有シ、万世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本国皇帝ハ、忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス。
朕茲ニ露国ニ対シテ戦ヲ宣ス。朕カ陸海軍ハ、宜ク全力ヲ極メテ露国ト交戦ノ事ニ従フヘク、朕カ百僚有司ハ宜ク各々其ノ職務ニ率ヒ、其ノ権能ニ応シテ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ。凡ソ国際条規ノ範囲ニ於テ、一切ノ手段ヲ尽シ、遺算ナカラムコトヲ期セヨ。
惟フニ文明ヲ平和ニ求メ、列国ト友誼ヲ篤クシテ、以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ、各国ノ権利利益ヲ損傷セスシテ、永ク帝国ノ安全ヲ将来ニ保障スヘキ事態ヲ確立スルハ、朕、夙ニ以テ国交ノ要義ト為シ、旦暮敢テ違ハサラムコトヲ期ス。朕カ有司モ亦能ク朕カ意ヲ体シテ事ニ従ヒ列国トノ関係年ヲ逐フテ益々親厚ニ赴クヲ見ル。今、不幸ニシテ露国ト釁端ヲ開クニ至ル、豈朕カ志ナラムヤ。
帝国ノ重ヲ韓国ノ保全ニ置クヤ、一日ノ故ニ非ス、是レ両国累世ノ関係ニ因ルノミナラス、韓国ノ存亡ハ帝国安危ノ繋ル所タレハナリ。然ルニ露国ハ、其ノ清国トノ盟約及列国ニ対スル累次ノ宣言ニ拘ハラス依然満洲ニ占拠シ、益々其ノ地歩ヲ鞏固ニシテ、終ニ之ヲ併呑セムトス。若シ満洲ニシテ露国ノ領有ニ帰セン乎、韓国ノ保全ハ支持スルニ由ナク、極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス。故ニ朕ハ此ノ機ニ際シ、切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ、以テ平和ヲ恆久ニ維持セムコトヲ期シ、有司ヲシテ露国ニ提議シ、半歳ノ久シキニ亙リテ屡次折衝ヲ重ネセシメタルモ、露国ハ一モ交譲ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘス、曠日彌久徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメ、陽ニ平和ヲ唱道シ、陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。凡ソ露国カ始ヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫モ認ムルニ由ナシ。露国ハス既ニ帝国ノ提議ヲ容レス、韓国ノ安全ハ方ニ危急ニ瀕シ、帝国ノ国利ハ将ニ侵迫セラレムトス。事既ニ茲ニ至ル、帝国カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル将来ノ保障ハ、今日之ヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ。朕ハ汝有衆ノ忠実勇武ナルニ倚頼シ、速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

御名御璽

明治三十七年ニ月十日

戦没総数八八,四二九人

戦後ポーツマス条約にて千島列島及び樺太五十度以南が日本の領土となる。