※平成二十年十一月 渥美勝大人命八十年追悼顕彰祭時の趣意書
本年は、大正から昭和初年にかけて、日本民族生命の象徴、桃太郎を自ら任じて立ち、皇道に基づく神政維新に挺身された渥美勝先生が昇天されてより八十年の歳に当たります。
渥美先生は、明治十年滋賀県彦根市に御出生になり、幼くして父を失い母の手一つで育てられました、長じて明治三十三年京都帝国大学に進学、最愛の母の急逝に遭い人生の無常を噛み締められる中、近隣の学童の歌う唱歌「桃太郎」を聞き、翻然として「人、この世に生を享く、須らく万有を統一し、一切不善、一切悪を征服する信念無かるべからず。桃太郎は維れ日本民族生命の象徴にあらずして何ぞや」と日本人たる我の生き方の根本を悟られました。以後寝食を忘れて古典を紐解き、日本民族本来の生命観の把握に没頭されたのであります。
先生は、明治四十五年の桃の節句より、神田須田町の広瀬中佐銅像前あるいは上野公園の樹下石上にて「桃太郎」と大書した旗を立て、道行く人々に日本民族の生命観と世界的使命を獅子吼されました。また同時に、日本の維新を志す多くの志士・思想家・宗教者と交流されました。その中には大正・昭和維新運動の指導者で猶存社の三尊といわれた大川周明、北一輝、満川亀太郎の各氏も居り、「告日本国」で有名なフランス人ポール・リシャールも先生の演説に聞き入る者の一人でした。反面、道に全てを捧げられた先生には家族無く家無く財無く、文字通りの野ざらしであり、夜は神殿の軒下や知友の家を仮の宿とし、終には生死を神に委ねんと谷中の墓地で絶食されたことさえありました。しかしその道念の深さと烈々たる気魄は、当時愛国陣営の頭領的存在であった頭山満をして「あの人間は本物だよ」と言わしめた程でした。
大正十年、現下の国情を深く憂えられた先生は、霧島そして高千穂に登山、天孫降臨の幽意、神武肇国の偉業を追想し、自己維新を目指す修道に入られました。関東大震災勃発するや先生は直ちに上京され、敢然として活動を再開されました。田尻隼人等と聖日本学会を結成、また五月党(天野辰夫等)、全日本興国同志会(本間憲一郎等)、建国会(赤尾敏等)、錦旗会(遠藤無水・大森一声等)等の運動にも協力され東奔西走、維新運動に挺身されました。
しかるに昭和三年春頃より身体の不調を覚えられ、同年十一月四日、昇天されたのであります。神のまにまに全てを捧げ使命を果たされたかなしくも清冽なご生涯でありました。
先生はその講演の中で「天照大神そのままの現われである現人神の天皇を中心とし、葦原の中ツ国を足場として、東西の両文明を一丸とし、即ち生命を単なる存在に於いてのみに価値付けず、使命の中に価値付ける事によって、両文明を融合し適用し、新たに日本大神宮国を造る事が、これ日本人としての生命の日本に於ける使命であるばかりでなく、全世界に対する我等が生命の使命である」と道破され、日本民族そして我々日本人一人ひとりの行く手を照らされました。
生命の自己否定と倒錯に満ちた日本と世界の現状を見るとき、生命観に裏づけられた先生の信仰・思想の今日的な先見性・重大性が改めて痛感されます。
私どもは、桃太郎・渥美勝先生の信仰、思想そして行動を偲ぶと共に、その遺徳を仰ぎ奉り、各自の使命(みこと)への勇往の思いを新たにすべく、ここにささやかながら祭典を奉仕させていただく所存であります。有縁の皆様のご参列を切にお願い申し上げる次第です。
「桃の会」代表 田尻陸夫