直感と思想 編輯員 岡學歩

「何となく選んだけれど、何故選んだのか説明はできない」と云ふことはないだらうか?人は生活の中で理由がなく論理的でもない判斷をすることがある。これを直感と言ふ。

例へば、味の好みである。個人で好みは違ふので千差萬別と云ふことになつてしまふが、日本人と云ふ大きな集團で味の好みの傾向を調べれば、味噌や醤油の味を好む傾向になるだらう。味噌と醤油は今や日本を代表する調味料である。そこで、質問である。私たちは何故味噌や醤油を好むのだらうか?改めて言語化してみると意外と難しい。「いつも食べてゐるから」「昔からあるから」確かにさうだが、論理的かと言はれると論理的ではない。正に直感的に味噌や醤油を好んでゐるのである。では何故直感が働くのだらうか?それは過去の經驗や記憶が瞬時に働き判斷をしてゐると言はれてゐる。

次に味の好みに就いて理由を説明することを實踐してみる。

 

「日本には肉や魚を鹽漬けにした保存食が繩文時代からあつたやうである。穀類を鹽漬けにして醗酵させてできた液體を醤(ひしお)、その途中過程の固形物が殘る状態の未醤(みしよう)が奈良時代に大陸から傳はつた。未醤(みしよう)と云ふ名前で概ね察しが附くと思ふが、味噌の原型である。その後、日本の風土にあつた發展をして室町時代から戰國時代に今の味噌や醤油になつたと言はれてゐる。日本食に於て味噌や醤油による味附けは基本であり、一般家庭の食事でも當たり前のやうに用ゐられる。代表的な日本の家庭料理として味噌汁や煮物がある。私自身も味噌と醤油の味附けで育ち、料理をする際に用ゐてゐる。日本を代表する調味料であり、海外でも壽司とともに醤油を口にする機會は多くなつたであらう。歴史、文化から見ても私たち日本人にとつて誇るべき調味料であり、私を含む日本人の殆どが好む味であると言へるだらう。」

特別なことは書いてゐない説明文で大變申し譯ないが「なぜ味噌や醤油の味が好きなの」と問はれた時に何の準備もなくここまで解答ができるだらうか?少なくとも私にはできなかつた。私自身もこの文章を書く際に味噌と醤油に就いて調べてから書いてゐる。それは何故か。私は醤油、味噌の味を好み、一般常識として造り方や日本の傳統的な調味料であることを智識として知つてはゐたが、興味關心を持つて深く調べたことはない。この文章を書くにあたり簡單に調べた内容ですら初めて知つたこともある。

ここで傳へたいことは、直感ではなく或程度論理的に説明をすると云ふことは智識が必要であると云ふことだ。この文の構成としては、歴史と文化を調べ、實體驗を語り、それを理由に好んでゐると云ふ自分自身の感覺を傳へてゐる。

何を當然のことをと思はれるかもしれないが、これができるかできないかは大きな違ひである。論理的な説明を實行するためには、事象に對し興味關心を持ち、調べ學び、そこで得た智識と自分自身の感覺を結び附ける必要がある。そして感覺を表現するにあたり適切に説明ができる日本語の言葉を用ゐることで漸く自分自身の言葉として語ることができるのである。平易に言つてしまへば、勉強すると云ふことである。

例題が長くなつてしまつたが、國體を鮮明にするために個人ができることは、興味關心を持ち調べ學ぶことから始まる。何となく「日本のことが好き」「日本人に生まれてよかつた」これは子どもでも言へる。何故を探求し直感から脱しなければならない。國體を鮮明すると云ふことに限らず、樣々な學問や職業に於ても「好き」と云ふ直感から智識や技術を磨き專門性を得ていかなければならないことは同じだらう。

智識、技術を磨く爲には勉強や實踐と云つた經驗が必要になる。そこにどれだけの時間を要するかは人それぞれである。教科書的な智識や先人の言葉を借りて智識を得たやうな氣になる、技術を得たやうな氣になると云ふ段階がある。私自身もその段階で右往左往してゐる。樣々な人と意見を交はし、失敗や反省、新たな氣づきを得る經驗を重ねていくことで、自分自身の考へと意見になり自らの言葉として語れる。この段階に至ることは思想を有すると云ふことと考へてゐる。

思想は自分自身の思考を言語化したものである。他人と同じと云ふことはない。幸ひなことに私たちは先人の思想を學ぶことができる。しかしそこに留まつてはならない。先人の思想に影響を受け、興味關心を廣げ更に學ぶことは望ましい。しかし先人の思想を自らの思想のやうに語つてはならない。それは自分の思想ではなくあくまでも先人の思想であり、自らの發言に責任を持つてゐないと宣言してゐるやうなものである。

私の國體を鮮明にするための方法は、私自身を理解することから始まる。私は神社や傳統的な祭りの由緒を知ることが好きだ。また地域ごとに神社や祭りには違ひがあることに強く興味關心が惹かれる。その好奇心を原動力に歴史を調べる。何故その歴史に至つたのかを調べるためにその土地の文化や地形、季候なども調べる。關聯する事項を調べ原點はとなつた時に「古事記」に辿り着いた。

私は偶然日本に生まれ育ち、幼少期から現在まで樣々な經驗をして今の考へに至つてゐる。勿論樣々な經驗の過程で影響を受けた先人の思想はある。一例をあげるならば柳田國男の民俗學には大きな影響を受けてゐると自覺してゐる。しかし、私なりの試行錯誤をしながら「古事記」に日本の成り立ち、日本人の在り方が示されてをり、自分自身の經驗を裏附ける根據となつてゐると感じてゐる。似たやうな考へや、それは當たり前だと云ふ意見もあるだらう。しかし、私は「古事記」こそ日本人としての私を肯定するものであり、これからの日本の在り方を考へる際に知つておかなければならないことであると確信してゐる。

以上が私の思想と云ふにはまだまだ拙いが確固たる考へであり、この發言に於ては責任を持つ覺悟がある。これは私の思想であり、ひとそれぞれ多種多樣な思想があつて然りだが、日本人を自覺してゐる人が、その人なりの思想を有することが國體を鮮明にすることになると確信してゐる。