第一三八五詔 淸國皇帝への國書
大日本國天皇、敬テ大清國皇帝ニ白ス。方今、寰宇(註一)ノ間、交際日日盛ナリ。我邦旣二泰西(註二)諸國ト信ラ通シテ往來セリ。況ンヤ隣近貴國ノ如キ、固リ宜シク親善ノ禮ヲ修ムヘキナリ。而シテ未タ使幣ヲ通シ、和好ヲ結フコトアラサルヲ、深ク以テ憾(ウラミ)ト爲ス。乃チ特ニ欽差大臣從二位行大藏卿藤原朝臣宗城ラ派シ、以テ貴國ニ遣ハシテ誠信ヲ達セシム。因テ委スルニ全權ヲ以テシ、便宜事ヲ行ハシム。冀クハ、貴國交誼ヲ思ヒ、鄰交(註三)ヲ篤クシ、卽チ全權大臣ヲ派シ、會同酌議シ、條約ヲ訂立シテ、兩國慶ヲ蒙リ、永久渝ラサランコトヲ。乃チ名璽ヲ具ヘ、敬テ白ス。伏シテ祈ル,皇帝ノ康寧萬福(註四)ナランコトヲ。明治四年五月
註一 かんう 天下及び天地四方の意
註二 たいせい 西洋の意
註三 りんかう 隣国との交流の意
註四 かうねいばんぷく 平穏無事で幸多くの意
※王政復古の大号令渙発百五十周年を迎へ明治以降の詔を謹み敬ひてここに記す。(出典:錦正社出版 みことのり)