赤間神宮参拝す。
赤間神宮は、安徳天皇御歳僅か八才をもつて平家一門と共に壇之浦に崩じ給ふや 建久二年 朝廷は長門国に勅して御陵上に御影堂を建立せしめ給ひ 建礼門院御乳母の女 少将の局命阿尼をして奉侍の上、勅願寺として永く天皇の御冥福を祈らしめ給ふ。明治維新に至るや阿弥陀寺を廃し 御影堂を改めて天皇社と称せられ 明治八年十月七日勅命をもつて官幣中社に列し、地名に依り社号を赤間宮と定め給ひ、社殿を造営せしめらる。(赤間神宮HPより)
明治維新の立役者、高杉東行(晋作)先生療養の地および終焉の地を見聞す。
高杉東行(晋作)先生発議の招魂社、櫻山神社参拝す。