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【現代訳】古道大意下巻その四①

このとほり神の子孫、神の御本国ですから、日本は万とある外国とは天地の隔たりがあつて、何もかも不足なことはなく、満足でうるわしいのです。第一に、命をつなぐ米穀が世界で一番きわだつてすぐれてをり、このきわだつた風土水土の国に生まれて、見事な五穀を、トヨウケヒメノミコトすなはち伊勢の外宮の神様の厚いお徳によつて、飽きるほど食べてゐるために、我が国に生まれた人は持つて生まれたものと合はせ、外国の人とは同じ年とも思はれないほど、雄々しく聡明さが優れてゐるのです。

ただし、古伝説の事跡をもつて解明し、誠のことを話しても、外国の勉強で惑はされてゐる人や又生半可な智識人は、「平田は何もかも我が国がよいと言ふが、それは贔屓の引き倒しではありませんか」などと言ふ人もありますが、そのやうな人には日本の真実をもつて聞かせても、なほかれこれと言ふものです。そのやうな人には天文地理及び外国の説でもつて、日本が万国に優れてゐると云ふことは、この天地の間の公論であることを示さうと思ふのです。

鈴の屋の翁が詠んだ歌に「アヤシキハコレノ天地ウベナウベナ、神代は殊ニアヤシク有ケン」と詠まれました。コレノと云ふのはコノトと云ふのと同じこと、又ウベナウベナと云ふのは言偏に若と云ふ字を書いた、諾の字の意味で、俗に申せばなるほどと云ふ意味です。この歌の意味は、世に霊(あやし)き物と云ふのはこの天地である、そのアヤシキ天地の、今始まると言ふ神代のことですから、又こと更に奇々妙々であることが多くあることだらう。実に道理である。と云ふ意味です。アヤシク有りケンとは俗に言へば不思議であらうと云ふ意味です。さてこのやうに詠まれたのは、世間の人が神代のさまざまなアヤシキ事柄はあつてはならないことと異議を唱へて疑ふために、そのやうに疑ふのは却つて愚かなことだと云ふことをよく分かるやうに詠まれたものです。

このあやしく、奇々妙々なる天地の始まりのありさまや、天地と別れたおほかたの様子は、前の二回で、神代の古伝説に基づいて、概略を講説したとほりです。一体この大地は前回の話のやうに、その初めは浮き雲のやうで、その形状は言ひ難いもので、大虚空の中に漂つて寄りかかるところはなく、例へば一つのマリをつき上げたやうにして、何とも不思議で、奇々妙々なことです。これによつて思ふには、あの天の浮橋を天地の間に浮かべ、自由に飛来したなどとは、更に疑はしいことではなく、これらのことを思ひ合はせて真理を知つていただきたいものです。