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【現代訳】古道大意下巻下巻その三③続き

神代・人の代

神代と申すのは、人の代と分けて申す尊称です。それははなはだ上ッ代の人は、すべてみな神であつたため、その代を指して神代と言つたのです。いつ頃までの人は神で、いつごろからこなたの人は神でないかは、はつきりした差別はないことから、万葉の歌などにも、ただ古を広く神代と申したもので、それは『万葉集』の六の巻に「大和の国は皇祖の 神の御代より敷きませる 国にしあれば」と詠んだのは神武天皇の御代を申します。十八の巻に「スメロギの神の大御代」と詠んだのは垂仁天皇の御代を申します。一の巻には、その御代をも誉めて、神の御代と詠んであります。なおこの外にも広く古を神代と申した例はたくさんにあります。しかしながら事を分けて言ふときは、ウガヤフキアエズノミコトまでを神代とし、神武天皇より以下を人の世とすることで、日本書記にもこの意をもつて、ウガヤフキアエズノミコトまで二巻を、神代上下と標されたもので、さようカムヤマトイワレヒコノミコト則ち神武天皇の御代に、始めて日向の国笠狭の御碕より大和の国へ都を移され、世の中の有様も全く新たになつたために、これより後を人の世と言ふべきものです。

しかし今もつてこれを思へば、神武天皇の御代より、その後なほしばらくの御代々 、まだまだその人の世は、神なる事どもがあつて、やはり神代といふべき有様で、それから段々と年が経つて、御代の代わるに従つて、今の姿になつたのです。

さてこのように凡人と成り果てた、今の人の心をもつて思へば、いかにも神代の人の神なる所業が霊妙で、疑はしく思はれますが、更に疑ふべきことではないのです。それを世の学者どもが、今の凡人の心をもつて古を考へ、かれこれと異国の説を取り合はせて、古の神の奇々妙々と霊妙なる事跡を説き曲げ、それを強いて不思議でもない様子にたわごとを吐き散らし、説を本にして世に広めたのです。

そのため世間の人もそれを見たり聞いたりして、心にしみ込み、神代の事はみな寓言と申して、作り事だと思ふやうになつてしまつたのです。

神道者や世の常の学者どもの言ふ通りなら、神代の神々は、やはり今の凡人と同じであつて、その神が不思議であつたといふことが、みな寓言の作り事だとして見れば、神は今の人間と変はりもなければ、特別に神といふべきものでもなく、又ありがたい事もないのです。

さればその代を指して、神代といふ理由もなく、また我が国を特別に神国といふべき筋もなく、また我が国の人に限つて神の末裔ですと、自分たちだけ言ふものでもないのです。世間の生半可な輩は、とかく神代の神々の、霊妙なる御所業を信じません。唐(支那)風の小さな知恵を振り回して、賢こげにかれこれと申しますけれども、これは「夏虫の見方」と申して、夏になつて生じた虫が、氷を疑うやうなもので、身の程を知らない愚かなことです。

今それらをお諭しします。天地をお始めなされた、霊妙といって、霊しく不思議な神々の御子孫が、世を経て年を重ねるにつれ段々と、かの霊妙なることから遠ざかって、このように霊うことも何もない、今の凡人となつて数十代を重ねました。

身近な例へで申しますと、まずその家を興し始めた先祖が、相撲取りのやうに、大男で背の高さが七尺も八尺(二メートル以上)もあつて、肩の広さが三尺(一メートル弱)余りもあつて、その手を広げると半紙の紙の外に出る。またその履物がなんと二尺(六十センチ)もある。その力量といへば、風呂桶に水を一杯に張り、その中に母親を入れて、軽々と持ち運ぶ。食べ物は三、四升の飯、おかずもたくさん添へてあるのを、まだ食ひ足りないやうに食べてしまふ。それに応じて着物も大変に大きく、家も大変に大きく広く、屋根の棟の高さが五、六間(九メートル以上)もあり、何もかもこれに準じて大造りでした。その時それが生んだ子はよほど劣つて、背の高さが一尺(三十センチ以上)も低のです。それに準じて何もかも、親よりは劣つてゐます。又それが生んだ子は又劣つてゐます。その次も又余程劣り、年を経て代々を重ねるうちに、段々と劣つてきて、骨だけになつて、これから後はその姿に落ち着いて、それが大分増えたのです。これが神代から段々、今の世のように成り代はつたことの例へです。

一寸法師の例へ

この一寸法師の世になつて後に、かの先祖の事などを詳しく書いた一巻が伝はつてゐます。これが神代の事績を御伝え、御記なされた、『古事記』、『日本書紀』などの例へです。

それを一寸法師の世になつて、読んでみたところが、あの先祖の大男の、背の高さが七尺余りもあつて、四斗俵を拍子木に打つたことなどが記されてをります。ここで一寸法師どもが大きくたまげて、「いやこれはけしからないことだ。こちらの親も祖父も、やはり我らと同様であつたものを、それにこのやうな事が書いてあるといふことは、いかに先祖だとしても、そんなに大きな筈はなく、そんなに力があるはずもない。これは信じられないことである。これは先祖と言ふもを、尊く思はせやうとするために、寓言のつくりごとをして、中世に書いておいたものだらう」と言うてゐるのです。これが世の人の神代の事績を、今の凡人の上に比べ見て、信じないで疑ふことの例へです。 ところが同じ一寸法師たちの中に、一人が頭を振つて、「いやさうではない。疑ふべきことではない。その訳は今も現在に、その先祖の手の跡を写された紙が伝はつてゐる。又その着てをられる着物も伝はつてゐる。また手の跡を写されたといふ紙には、手の筋が写り、とてもとても後世に偽つて作つた物とは見えず、疑はしいものではなく、誠に先祖の着物、手のひらの跡を写されたものに違ひない。それのみならず、この家を始め興す程の先祖だもの、又我らが住んでゐる家も、よくよく見てくれ、実に大きな物ではありませんか。先祖は実にこの書いてあるとほりである。それから劣つてきて、ついついこちらが、お互いのやうに落ち着いたものと見えますから、よく考えて、かれこれ先祖のことを怪しむべきことではない」と、詳細に言い聞かすのです。

その一人の一寸法師と言ふのは、古の道を諭そうとする縣居の大人、本居先生などの例へでは、その手のひら跡を写した紙や、着物が残つたことなどは、神代の遺物、天の橋立や草薙の剣の類、その他も今の世に遺つて、そのままある物の例へです。家が大きいことを教へるには、この天地が大きく不思議で、それを御造りあそばすほどの神であるからと言つて、私が教へ諭すやうなものです。 さてこのやうに、一人の一寸法師が諭しても、他の一寸法師どもは、今の自分たちが、何もかも先祖とは、大きく違つてゐることにばかり、目がつき心が引かれて、先祖が大男で、右のように力もあつたことを、一向に寓言として、更にさらに肯定せず猶かれこれと言うたならば、なんとこれはどちらがもつともなことでせうか。

神代の神の御上のことを疑うも、こんなもので、天地の御始めなされた程の、皇大御祖神 たちの、奇霊なお仕業を、おそれ多くも、ゆめゆめ疑ひなさるべきことではないのです。猶これらのことは、師の翁がいろいろ諭し置かれてをります。

神の末裔

カムヤマトイワレビコノミコト、則ち 神武天皇は、大和の国の橿原の宮と申す所にをられて、天の下を御治めあそばして、この 天皇様より今の 天皇様まで、御血脈が連綿と御続きあそばし、百二十代もの間に変はりがなく御栄えあそばしたのは、実にこの地球のありとあらゆる国々に比類なくありがたい御国です。これが実に道の大本であり、唐(支那)の国などとはとんと訳の違つてゐることで、なんと天地の初発の時に、その天地を御造りなされた神々の、世に殊なるおぼしめしで、厚く御心を入れられて、神の御生みなされたものです。

又その末裔として、世に殊なる御威勢があられました、オオナムチノカミ、スクナヒコノカミが御経営されまして、四海万国生きとし生けるもの、鳥獣草木に至るまで、そのお陰を蒙らないということはなく、天ッ日則ち日輪の萌え上がつた本の御国で、その天ッ日をお治めなされて、天地のあらんかぎりに、世を御恵みあそばす日の神、

天照大御神の御生国で、タカミムスビノ神の祖孫、天照大御神の御孫にあられて、ことさらにこの二柱の神の、御愛しみ御恵みあそばされた、ニニギノミコトへ天にまします神々のうち、特に卓越したものばかりを、右の二柱の大御神のお眼鏡をもって御選びなされ随行とされました。

又天照大御神の殊に大切と御斎あそばされる、三種の神器を、天使の御爾として御授けになりました。又御口自ら、「豊葦原の瑞穂の国は、我が御子孫が次々と治めて、天地とともに無限であるべき国ぞ」と御祝言を仰せられた、その御神勅が空しからず、ニニギノミコトより今の 天皇様まで、唯一日の如く御代をお治めになられて、随行された神々の御子孫も、今以て同じように連綿と続かれて、その子孫が世に広がりました。又代々の天子様の末裔の御子たちへ、平氏や源氏などの名字を下されて、臣下の列にもなされましたが、その末裔の末裔が増へ広がつて、ついついお互いの上となつたもので、なんとこんなわけですからこそ、誠の神国でありますまいか。なんとお互いは誠に神の末裔ではありますまいか。

今はこのやうに落ちぶれて、その先祖の神も確かではないようですが、我が国の人には各々に氏性と言ふのがあつて、それは元来 天子様より賜つたもので、源とか平とか橘とか、藤原とか言うものがこれです。それをもつて古を詮索しますと、大きく知ることが出来ます。又その姓をも知らないといふ人は、今名乗つてゐる平田とか、何とか言ふ類の、名字といふもので、大本の先祖を探られるもので、これを系図の学問と申して、また一派が立つてゐるのです。その人は知らずにいても、名字を聞けば、これは何と申す神、何と申し上げたる 天子様から出た人だと言ふことは、こちらには自分のことではなくても、おおよそは調べなくても知れるのです。

そもそもこのとほり、古伝説の事跡によつて、よく明らかにする、又普段の生活が忙しく、自分で明らかにすることができない方々は、先生の話を聞き覚えられて、その上で我が国は神国ですとも、我らは神の末裔だとも、ここにおいて気強く伝へられるのです。

そうでなくては、もし人になぜ貴方は、我が国に限つては神国だの、また神の末裔だのと、大きなことを言ふのだと咎められたならば、吃驚するだらうと篤胤は案じられます。又そう咎められたところで、この位におおざつぱに心得て答へたならば、彼のお互いに賤しめる唐の人すら、その先祖の美を選び定めて、明らかに後の世に著したものなのです。

その先祖に善があつても知らないと言ふのは、不明と言つて、道理に暗いといふものです。「知りて伝へざるは不仁」と言つて、先祖へ不実不幸だと言つたことにも、恥づかしくないといふものです。

防共新聞一一五九号(平成二十五年四月一日)より