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すめらみこと信仰に歸一す可し矣 一赤子 大岩優輝

復刊四号(平成二十六年四月一日)より

吉田松陰先生、同囚への書翰に認めて曰く、「天照の神敕に“日嗣の隆えまさんこと、天壤と窮りなかる可し”と之れあり候所、神敕相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正氣重ねて發生の時は必ずあるなり。只今の時勢に頓着するは神敕を疑ふの罪輕からざるなり」と。
愚生は囹圉の身となり猶ほ寶祚の無窮を揺るぎなく信奉する松陰先生に衷心より敬意を表するとともに、今般街頭に於て「このまゝでは日本は亡びるぞ」などと、終末思想にも似たる妄言を囂しう叫んでゐる徒輩こそ、松陰翁の此の言葉を傾聽す可しと思案す。亦た陣營内には矢鱈と“國體護持”なるスローガンを掲げる人がゐるけれ共、神州の不滅を確信する愚生にとつて、日本の國體が金歐無缺であることに疑ひの餘地など微塵も無い。
そもそも一介の赤子に過ぎぬ分際で、神代より繼承され給ひし國體を「護持する」などと云ふのは、僭上甚だしいではない乎。神聖なる國體が無窮なのは、云はずもがな日本が 皇尊を大御親と仰ぎし地であるからに他ならず、一介の赤子に過ぎぬ吾人が奉護能ふものではない。かやうな不遜な幟旗は直ちに破り捨て、燒却爐にでも叩き込む可きであらう。
而して愚生は「國體護持」ではなく「國體恢弘」を訴へる。夫れ國家主義の如き偏狭なる思想に留まるものに非ず。愚生は世界萬邦の民は餘す處無く、皇御民にして 皇尊の赤子であると信じて疑はぬ。鈴の屋大人が『玉くしげ』に於て、「天照大御神は、その天をしろしめす御神にてましませば、宇宙のあひだにならぶものなく、とこしなへに天地の限をあまねく照しましまして、四海万國此御徳光を蒙らずといふことなく、何れの國とても、此、大御神の御陰にもれては、一日片時も立ことあたはず」と云つたやうに、天照皇大神とは一天四海を照らし給ふ太陽であり、爲に 天津日嗣たる 皇尊は 世界天皇にして、鈴木重胤翁の言葉を借りれば「宇内の總帝」なのである。天津日影即日光が一木一草を生成化育せしむるが如く、蓋し 皇尊の稜威とは夫れ世界の民草を生成化育せしむる唯一不二のみひかりであり、稜威がなければ民草は萎えしぼみ、軈て枯れ果てることゝならう。更に云へば、萬邦諸國が興亡を繰り返すのは、皇化を果してゐない、すなはち稜威を戴いてゐないがゆゑである。阿多曼帝國が滅びたのは何故乎、神聖羅馬帝國が滅びたのは何故乎、四千年を自稱する支那史に於て易姓革命が絶えなかつたのは何故なの乎。そはいづれも世界萬邦の民が未だ大御親たる すめらみことに歸一してゐないが爲に相違ない。
國體を恢弘し億兆萬民が世界の大御親たる すめらみことに歸一して初めて世界は修理固成を果し、高天原は地上に顯現さるゝのである。之れを侵畧思想だと曲解する者がゐるが、斷じてさうでは無く、そもゝゝ億兆萬民のもとついのちの故郷は高天原に有り、吾人の使命は彼らをすめらみこと信仰に歸一せしむること也矣。之れこそが皇御民の目指す可き道であり、八紘爲宇の大精神だと斷言す。
然るに哀しむ可き哉、神州不滅と雖も其の進運には盛衰あり。何時の世も國難は存在するものであり、夫れ萬邦無比の國體を戴く 皇國とて例外ではない。平泉澄博士が『眞の日本人』に於て、「(上畧)一億一心、上下一和するならば、何ぞ外敵を恐れんや、むしろ進んで、大に國威を發揚すべし。(中畧)人々にして若し其の私心を去り、深く祖國の傳統に復歸するならば、こゝに祖國傳統の力は、上下貧富の差、老若男女の別を越えて、よく一億を一心ならしめるのである。天下の人心を一にするの説は、國民のすべてを、國家の正しき傳統に復歸せしむるといふに歸着するのである。國體の大義を明かにし、日本の道義に一命を捧ぐる、これ即ち私を去つて傳統に歸順するものに外ならず…(以下畧)」と説いたやうに、皇御民が擧國一致となつて國體恢弘の大義を明かにせば、四夷百蠻の外患なぞ何ら恐るゝに足らぬ。換言せば高杉東行先生の喝破されたやうに、懸念す可きは外患ではなく内憂である。
翻つてみれば、嘗ての所謂る昭和維新運動に於て、二・二六事件てふもの有り。幼けな少女が遊郭に身賣りせざる可からざる程地方農村が困窮してゐたのを餘處に、政權中樞が資本家と癒着し其の懷を逞しうしてゐたと云ふ社會情勢を鑑みると、「權門上に驕れども國を憂ふる誠なし 財閥富を誇れども社稷を念ふ心なし」と唄うた青年將校らの心情たるや如何ばかりのものであつたか、愚生とて察するに餘りある。然るに松陰先生の『講孟餘話』に云へらく、「天子の命を奉ぜずして敵國相征するは、何程の正義によると云ふとも義戰に非ず」とあるやうに、如何なる正義があらうと雖も、奉敕なくして苟も 皇御軍を率ゐるなど、君臣の分を辨へざる叛逆と斷ぜられて然りであらう。朝憲紊亂の逆賊てふ、洵に苛烈なる謗りを受けやうとも、悲しい哉、遣る方無いのである。
先づ以て陣營のなかには徒らにやれ維新だやれ國家革新だと叫ぶ聲が案外尠くないけれ共、以爲く彼等もまた先に掲げたる松陰先生の言葉を刮目す可きである。固より兄弟牆に鬩ぐが如き蕭牆の禍を、掛けまくも 皇尊が洵にお望み遊ばれてをられるのか、愚生は恐察することが出來ない。
右に述べたるやうに、世界に國體を恢弘せんとする時に、國内に於て叛亂や騷擾なぞあつてはならぬ。幕末の政治思想は武經七書の一『六韜』に代表さるゝ、「天下は一人の天下に非ず、天下の天下なり」てふ儒學の賢しらに強く影響せられたるものであつたが、之れに對し松陰先生は『講孟余話』に於て、「此君民は、開闢以來一日も相離れ得る者に非ず。故に君あれば民あり、君なければ民なし。此義を辯ぜずして此章を讀まば、毛唐人の口眞似して“天下は一人の天下に非ず、天下の天下なり”などゝ罵り、國體を忘却するに至る。俔るべきの甚しき也」と否定した。平野國臣翁が「天下を一にするは、王室を尊ぶより善きはなし」と云つた如く、 すめらみことこそ、海月なす漂へる皇御民を修理固成し給ふ、唯一不二の存在に在らせられ坐す。而して吾ら赤子は 大御親の聖業たる國體恢弘即世界皇化を翼贊し、億兆萬民を すめらみこと信仰に歸一せしむる可し矣。