表紙 >  電子記事 >                 

使はぬ原爆と使へぬ原発

本日は広島に原爆が落とされて六十八年が経つが、相も変はらず似非平和屋が「反核」を利用して反日、反国体を訴へてゐる。

原爆については、大東亜戦争終結ノ詔書の中に「敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」とあり、原爆の非道性に 昭和天皇の御心を御痛めあそばされた。

東西冷戦に入り「使はぬ兵器」として戦勝国を基軸として核兵器を増産し、結果的に抑止力としての核武装の時期があつたが、今や北朝鮮のやうな道理の分からぬ小国も保持するやうになり、このままでは「使はぬ兵器」とはいかなくなるだらう。

また別に「平和利用」としての核があり、原子力発電の安定供給といふ資源の乏しい日本にはありがたい存在でもあつた。しかし平成二十三年の東北地方太平洋沖地震で福島の原発が事故を起こし、現在も賛成だ反対だと世間を騒がせてゐる。震災直後の三月十七日に 今上陛下のおことばとして「現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願つてゐます。」と仰せあそばされた。核の脅威に 先帝陛下 今上陛下ともに御心を御痛めあそばされたのである。

先にも記したが反核運動は戦後の左翼運動の主軸をなすもので、原発事故は彼らの都合良く運動を助長させる事にとなつた。「反核」のスローガンに交じり「反戦平和」「基地反対」「オスプレイ配備反対」等と、いまだに左翼的スローガンと直結する文言を羅列してゐる。彼らの目的は日本の歴史をリセットしやうと目論む「革命」なのであり彼らの「反核」は非常に危険なのである。

感情的な「反核」や「核保有」または「原発廃止」や「原発稼働」は現実的代案無きアンチ運動であり、根本的な解決には至らないのは明々白々である。

いづれにせよ「使はぬ兵器」と「安全でクリーンな原発」はおとぎ話になりつつある。