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御神麻幣奉納=夏越の大祓神事に=

日本麻振興会理事長 大森由久氏による講演
「麻と大和民族の伝統生活文化」

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日本麻振興会理事長の大森由久氏による講演

御神麻幣奉納悠志乃會(総代・阿形充規先生、神麻一龍・貴田誠氏)は、夏越の大祓の六月三十日、靖国神社に於いて御神麻幣を奉納した。
参加者はまづ昇殿参拝し、英霊に額づき御霊に感謝の誠を捧げた。本殿には、奉納した御神麻幣が供へられてゐた。
その後、靖国会館で日本麻振興会理事長の大森由久氏による講演が行はれた。講演に先立ち、福永武氏による国民儀礼が行はれた。司会は工藤純氏。演題は「麻と大和民族の伝統生活文化」。大森氏は江戸時代から代々と続く、現在では数少ない麻農家である。講演は、阿形充規先生のむすびの挨拶で終了し、その後、直会へと移つた。

麻農家激減の理由

麻は古来より、日本人の生活にとつて、また神事にとつても欠くことの出来ない植物であるが、終戦直後に連合軍が占領政策として、昭和二十二年に大麻取締法が施行され、その影響で昭和十二年に全国で約一万ヘクタール作付けされてゐた麻は、現在では五ヘクタールに激減した。日本の文化に密接な関係のある麻を禁止することにより、「欧米的」な文化を押し付けやうと試みたのである。

麻と神事

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奉納した御神麻幣

神御衣祭(かんみそさい)は、伊勢皇大神宮と第一別宮の荒祭宮に、和妙(にぎたえ・絹)と荒妙(あらたえ・麻)を奉る祭りで、五月十四日は夏の御料で十月十四日は冬の御料と言はれてゐる。
践祚大嘗祭は、天皇が即位遊ばされた後に、初めて行はれる新嘗祭である。大嘗宮内の正殿に、
天照大御神を始め天神地祇をお迎えし、その年の新穀を供し、天皇御自ら食し遊ばされる重要な神事で、大嘗とは元来、神に奉る食や衣の事を表してゐる。その衣は阿波忌部氏の役割として、麁服(あらたえ)が調進される。麁服とは、践祚大嘗祭で悠紀殿および主基殿の神座に神衣(かむそ)として奉る麻の織物のことである。このやうに、天皇の祭祀と麻は切つても切れない重要なものである。
また、平安時代の延喜式んは布帛(ふはく)などが幣帛として神の御前に奉げられた。また、今回奉納した御神麻幣(大麻)は、神職が祭儀のさいに罪穢れを祓うために重要な神具である。
大同二年(西暦八〇四年)に斎部広成(いんべひろなり)によつて編纂された「古語拾遺」には、神武天皇の勅命を受けた、忌部の氏族に、御神宝である玉・矛・楯・木綿・麻などを作らせた天富命は、天日鷲命の孫に肥へた土地を探させ、阿波国(徳島県)で麻の栽培をさせたと記されてゐる。

麻と日本人の生活

麻と神事は密接な関係であるのは先に述べたが、神社と日本人も当然密接であるから、日本人の生活にもまた当然欠かせないものである。
麻は成長が早く繊維利用や食用といつた用途に利用できるため、古くからさまざまな国で栽培されてゐた。支那の歴史書である、魏志倭人伝の中では、日本で麻の栽培がされてゐるとの記述がある。
また先述通り、麻は神聖な植物であり、神社では穢れを祓い、神域を作る神具として使はれてきた。
麻は丈夫で真直ぐに育つことから、子供の成長を願ひ、赤子の産着にも使用され、へその緒を切る際にも麻が使用された。丈夫な麻は、縄・下駄の鼻緒・漁網・畳糸・蚊帳・和紙などに使用され、古典芸能の楽器や弓道の弓弦、結納品や横綱の化粧まわしにも使用されてゐた。
また麻の実は、栄養価が高く、食用として用いられ、実からとれる油は食用の他にも産業用オイルとしても広く使われてゐた。
斯様に日本は麻の文化であり、戦後の大麻取締法は、文化破壊に他ならないのである。(参考文献・神さまと麻のおはなし)