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承詔必謹は日本人の歴史的使命 福田草民

◆来月十五日には、大東亜戦争終戦七十年を迎へる。終戦の日が在ると言ふことは、開戦の日が在ると言ふことである。当然ながら、世界中どの国もさうであらうが、日本に於いてこの両日に共通してゐることは、大詔を奉戴した、と言ふことである。つまり大詔を奉戴して始まり、大詔を奉戴終結してのである。
◆今国会では所謂「安保法案」を巡り、与野党に於いて喧々諤々としてゐるのは周知の通りである。やれ憲法違反だ、やれ合憲だ、と口角泡を飛ばしてゐる。市民も国会を取り巻いて、やれ戦争法案だ、憲法九条を守れ、と嘯いてゐる始末である。
◆本来ならば憲法を論じるつもりはないが、一言だけ申し上げなければならない。安倍晋三総理は、今法案を憲法九条改正の布石としてゐるのは、火を見るよりも明らかである。よつて護憲派が大声を張り上げてゐるのが一つの大きな理由となつてゐる。確かに我が陣営は、憲法第九条の「縛り」に危機感を覚え、憲法改正や、大日本帝国憲法復活改正を叫んできた。しかし、平成二十一年の総選挙で、民主党が圧倒的多数で政権を担ひ、国民は「失はれた三年」を自ら作り出してしまつた。
◆民主党政権と言ふ最悪な政権を経験した日本は、憲法を改正出来やすい環境を生むことは、逆に憲法を改悪されやすいと言ふ恐怖に気が付いたのである。
◆終戦直後の昭和二十一年六月、GHQに解放された日本共産党は徳田球一の下、日本人民共和国憲法を創案した。これには、恐れ多くも 皇族を排すると明記されてゐる。今は護憲を叫ぶ共産党だが、万々が一、共産党政権およびそれに近い政権が樹立されたなら、改正しやすい憲法を利用し、日本人民共和国憲法を施行するに違ひない。先にも述べたが、斯様に改正されやすい憲法になれば、改悪もまた容易いと言ふことになる。日本人民共和国憲法の第百条では「日本人民共和国の共和政体の破棄および特権的身分制度の復活は憲法改正の対象となりえない」とあるが、それを利用し置き換へれば「日本の皇国体の破棄は憲法改正の対象になりえない」となる。
◆そもそも、天津日嗣の神子であらせられる、天皇尊の御在位を憲法で明文化するものではないと思ふが、時勢は終戦七十年といふ節目に安保法案と憲法論議が絶えず、またその議論は目先の空論であるからして、敢て本稿では憲法を論じた。◆近代に於いて、憲法たるものが国の体を表すのであらば、やはり大日本帝国憲法の復元改正が一番の近道である。鑑みて、我が陣営の諸先生達の先見性は正しかつたのである。付け加へるのであらば、先に述べた「日本の皇国体の破棄は憲法改正の対象になりえない」とするべきだらう。
◆日本は憲法に依つて悠久の歴史を保持し得たのではなく、承詔必謹たるを以て世界に冠たる国になつたのである。日本は神国であり、日本人は神民であることを誇りに持とうではないか。