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日本のアイデンテイテイ教育  =アイデンテイテイを確立した上で多面的な視点をもつ=  特定非営利活動法人 日本領土領海戦略会議理事 福井大学准教授 竹本拓治

 筆者は地方の国立大学で、経営学やキャリアに関する研究をしてゐる。日本のビジネスが国際的に広がり、日本のビジネスマン個人が、日本人と云ふ括りで外国人に認識され、彼らと接する機会が増える中、自国の正しい歴史認識の欠如は由々しき事態を招きかねない。
本稿では、これから日本を担ふ若者にとつて、明確な自己のアイデンテイテイと多面的な視点が必要であることを説明する。多面的な視点をもつことで、個々人がもつ歴史への思ひ込みの枠を外せる可能性が高まる。グローバルな現代社会に於て、日本人アイデンテイテイとは何か、その変容に就いて理解し、世界全体を見据ゑることが大切である。

一 自己同一性
一の一 自己との同一性
アイデンテイテイとは、同一性と訳されるが、本稿で扱ふアイデンテイテイはその中でも自己同一性である。自己同一性とは、ある人やモノが、それ自身と等しくある状態を云ふ。キャリア形成にとつて、多面的な考へ方は極めて大切であるが、自分が立脚する基本的な位置を知ることで、はじめて他の考へ方との比較が可能になる。このやうな自己同一性が欠如した状態で多面的な考へ方を養はうとすると、自身の立ち位置が不明確となり、主張や発言に一貫性を失ふことになる。結果として、日本人であるにもかかはらず、自国の誇りを失ふ発言や、自らの生活基盤である国益を毀損するやうな行動をとることになりかねない。グローバルに向かうと云はれる日本に於て、この点が極めて危惧される。
戦後の教育では、戦前に存在したとされる日本人の考へ方が極めて稀薄になつたと云はれる。武士は身分としてなくなつたとしても、武士道の精神が明治期以降も尊ばれ、教育勅語が日本人の考へ方の礎であつた時代と、それらの教育が失はれつつある現代では大きな差異があることに間違ひない。
特にこのやうな日本人と云ふ括りとの自己同一性のことを、日本人としてのアイデンテイテイと云ふ。日本人としてのアイデンテイテイを正しく持ち、その上で国際的な考へ方を身に付けることが、本稿が目指す多面的な考へ方である。本稿では日本人としてのアイデンテイテイを、国内外の双方の視点から見ていく。

一の二 日本人としてのアイデンテイテイ
日本人としてのアイデンテイテイもまた時代と共に変化する。それゆゑ一言で定義できることはなく、またどの程度の範囲を包含するかも定かではない。しかしそれを語る上で、教育勅語と武士道の精神を無視して通れない。
教育勅語とは、明治天皇が示された教育の精神である。明治二十三年から昭和四十三年まで、国民道徳の基本とされた。それゆゑこの時代に生まれた人の精神的支柱とも云へ、日本の高度経済成長の根柢にあつたものとも云へる。特に第三文は、家族、友人に対する考へ方、謙遜や博愛、学問と徳、世の為の労働や法の遵守、忠国の精神などの内容となつてゐる。
武士道は、武士の為の道徳規範であり、武士と云ふ身分が無くなつてからも、その精神が伝承されてきた。主なものとその代表的な説明は次の通りである。
「義」…道理に従ひためらうことなく決断する力
「勇」…義のために行なう。動的な果敢さと大胆さ、静的な落ち着きと冷静。
「仁」…愛、寛容、他者への思ひやり、憐れみの心。正義と道義によつて制禦される。
「礼」…他人の感情に対する思ひやりの心が、外に表れたもの。
「誠」…死をもつて二言の償ひをするほどに、武士の言葉は重いとされた。
「名誉」…個人の尊厳と価値を強烈に意識すること。
「忠義」…目上の者に対する服従と忠誠。
以上に代表される説明は、他の国に共通する部分も存在する。特に中国大陸からの影響が強いが、武士と云ふ最高位の身分の形成過程で、日本独自のものとなつた。
勿論現代の環境にそぐわない部分も存在する。しかし、これらの思想や考へ方に就いて、若し自分たちの祖先がこのやうな思想をもつて生きてきたことに違和感を持つたなら、それは日本人としてのアイデンテイテイが何らかの形で変化しつつあると云へる。
二 国家とアイデンテイテイ
二の一 日本人へのアイデンテイテイの一元化
戦争責任論に就いての議論と本稿の目的を切り分ける。原口(平成二十七年)は、アイデンテイテイを論じる際の問題点を、日本人へのアイデンテイテイの一元化にあるとする。「戦争に直接間接に関与しえた世代の人間が、自分たちに一切責任がないかのやうに被害者に同化して加害日本人を告発するのと、当事者ではない戦後世代の日本人が、被害者に同化して加害日本人を告発するのでは決定的な違ひがある」とする。日本に於る戦争責任をめぐる議論に決定的に欠けてゐるのは「日本人」を区別することとする。また日本人へのアイデンテイテイの一元化が歴史認識問題の解決を妨げてゐるとする。
この考へ方は、戦中戦前(の戦争に関与しえた)日本人と戦後の日本人を区別することを主張したものである。戦争に関与したかどうかどうかを区別することは、勿論日本人としての考へ方、歴史を共有することを否定するものではない。この点を踏まへ、本稿では日本人へのアイデンテイテイの一元化を主張するものではないことも断つておく。キャリア形成に於て、戦後の教育では敢へて避けられてきた可能性のある日本人の精神、自分たちのルーツである祖先の考へ方を直視し、日本人としての立ち位置と枠を知ることに目的がある。
二の二 国家と云ふアイデンテイテイ
鈴木(平成二十七年)は国家単位のアイデンテイテイを「『国民国家』は近代に於て人工的に創り出された統治機構にすぎない」述べる。その上で「ある種の擬制の上に成り立つたヒト・モノ・カネを統合装置なのだが、二つの世界大戦と冷戦、巨大なグローバリゼーションの波を被つた今、危機に立たされてゐる。」とする。その危機とは「所与の『国民国家』に従属してきた人種、民族、部族が自身のアイデンテイテイに適合する場」を失ひつつあることだと云ふ。鈴木が述べるヒト・モノ・カネを統合装置としての国家単位と云ふ考へ方であれば、確かにアイデンテイテイに適合する固有の場の価値は失はれつつあるだらう。日本の戦後教育に於て、精神と云ふ概念が稀薄化してゐるとすれば、まさに鈴木の述べる危機に面してゐると云へる。しかし文化や歴史はある時を境に急に失はれることはない。
ダニエル・ディソン(平成十九年)は、日本人のアイデンティティにこだはり称賛する。その上でディソンはフィリピン人のアイデンティティに就いて、「今のフィリピン人は、アメリカと中国、日本が少々に、ヨーロッパと云ふ様々な文化が混ざり合つたもの。私たちには、これがフィリピン人だと言へる明確なアイデンテイテイがない。それが、私にはとても悲しい。」と述べる。ディソンの言及によつて、私たち日本人の明確なアイデンテイテイの存在に気付かされる。
近現代史に於る植民地支配とは、先進国により生産地や市場として経営されたことである。その過程に於て、現地の住民を政治的かつ文化的に抑圧し、結果としてその国固有のアイデンティティを喪失させるものであつたことにも目を向けなければいけない。アジアの開放がどれほどに意義のあることであつたかを再認識すべきである。
二の三 インドネシアに於る祖先の行動
平成二十六年年九月にジャカルタに訪問し、現地のガイドに一時間ほど案内を依頼した。ガイドは私が日本人と知るや否や嬉しさうな顔をして、「イマムラ!詳しいか?」と聞いた。今村均中将(後の大将)のことで、同氏はイギリス、オランダ両軍を、インドネシアから数日で追ひ払つた指揮官として有名だと云ふ。
戦後、今村大将は、オランダによる軍事裁判を受けるためインドネシアの収容所に送られた。その際、同収容所内のインドネシアの政治犯の人々が、あのイマムラ大将がここに来られたと知り、夜七時の合図と同時に地の底から湧き立つやうな「八重潮」の大合唱をしたと云ふ話が伝へられてゐる。「八重潮」はインドネシア人と日本人が戦時中に一緒に歌つた歌である。
オランダによる軍事裁判で、若し今村大将が死刑になるやうなことがあれば、故スカルノ大統領は政府として、今村大将を奪還する手筈を整へてゐたとも云はれる。その計画をインドネシア関係者が収監中の今村大将にそつと伝へにきたが、今村大将は拒んだとされる。インドネシアの英霊墓地には、今もインドネシア人と共に同国の独立戦争を戦つた日本人が祀られてゐる。
このやうな自分達の祖先の勇気ある行動を、果たしてどれだけの生徒、学生が歴史教育で学んできたであらうか。
二の四 自国の歴史と外交を考へること
靖国神社のみならず八月十五日は各地の護国神社に於ても大切な日である。同日、護国神社に並べられる遺族の文言は読むに堪へないものも多い。
例へば、シベリア抑留なども決して忘れてはならない出来事である。六九年前の八月九日、旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破毀し、敗戦が確実な状況にあつた日本に侵攻を開始した。日ソ中立条約は昭和二十一年四月まで有効であり、また破毀通告後一年間は有効とされるべきものであつた。ソ連が破毀を通告したのが昭和二十年四月五日であることから、同年八月九日の侵攻は無効であるどころか、その殺戮行為に対する賠償すらされてゐない。
何より日本は昭和二十年六月二十二日に、終戦のための仲介をソ連に依頼してをり、日本の敗戦をソ連は確信してゐる。その上で、アメリカが広島に原爆を投下した翌日の八日、旧ソ連は日本に宣戦を布告、九日に侵攻を開始した。ポツダム宣言を受諾し、終戦とされる八月十五日以降も侵攻を続け、南樺太の真岡郵便局事件をはじめ、無差別に日本人民間人を殺していつた。
戦後も多くの日本人が拉致され、強制的にシベリアに連れて行かれ、過酷な条件のもとで労働を強いられ命を落とした。これらが行はれたのは、ポツダム宣言の受諾後かつ日ソ中立条約の有効期限内である。しかし現ロシアは未だ北方領土を日本に返還してゐない。
領土・領海問題を口にすると、あの戦争の反省を忘れたのか等の批判が出てくる点も悲しい事実である。日本国憲法の改正論議では、国家の根本規範を作り直すのは国民の基本的な権利であるにもかかはらず、その議論をするだけで不安を覚える人もゐる。国際法では、占領状態に於て占領者側が憲法を制定することを禁止してをり、更に史実を踏まえれば、ポツダム宣言に於て、日本の将来の政治は日本国民の自由な決定にあるとされてゐる。ではなぜそのやうな否定的な意見が生まれるのであらうか。自国の歴史を知らないことは、これほどまでに日本人アイデンティティを崩潰させてゐるのである。加へて、次に述べるやうなメディアの報道を鵜呑みにしてしまう、多面的な見方が欠けてゐる。
二の五 多面的なものの見方-戦争経験者の振り返り
戦争時に生きた方々は、私たちの想像を遥かに上回る経験をされた。戦争経験者の中には、「正しい戦争だと信じて疑はんかつた。思へば、あれが間違ひの始まりじやつた。」と述べる人もゐる。開戦すると学校では、今日からおまへたちは一層お国のために頑張らんといかんぞ、と云はれ「何とも云へない勇ましい気持ちになつた」人もゐる。しかし新聞記事では記者の意見として、「今なら、なぜあんな無謀な戦ひに突き進んだのかと声に出して言へる。」と否定的な記載をしてゐる。
経験者の意見はそれぞれが事実であり、その率直な感想であれば、決して間違ひではない。しかしメディアがこれからも自虐的に自国を否定し続けることは、果たして正しいことであらうか。
日本では先の戦争を直視できないだけでなく、愛国心を感じる人々の共通の行動すらあまり見ることがない。憲法改正問題では過剰反応し、国旗、国歌でさへも否定する人々がゐる。戦前の日本人のアイデンテイテイは、既にかくも崩潰してゐるのである。
本稿では、日本人とは何か、先人はどう云ふ思ひをもつて先の戦争に挑み、私たち子孫に貴重な財産を残してくれたのかを知り、我々が思考の立ち位置をしつかりと持つことを目的とした。その上で多面的にものを見る大切さを読者が気づきとして得ることを望む。
[参考文献]
一. 新渡戸稲造『武士道がよくわかる本』PHP研究所 二. 原口健治「歴史教科書とナショナリズム二」『青山スタンダード論集第十号』青山スタンダード教育機構
三. 鈴木美勝「アイデンテイテイ競争時代の世界史ゲーム」『外交vol.29』時事通信社四. ダニエル・H・ディソン『フィリピン少年が見たカミカゼ』桜の花出版