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清原貞雄著「国学発達史」考 三

第一章 徳川時代以前に於ける国学

第二節 和歌及び国文学の研究

 ●日本紀の研究に次いで研究されたのが和歌。それは平安朝以後に起つた。研究対象は万葉集である。次に古今集、散文では源氏物語や伊勢物語。鎌倉時代以降は方法論や優劣論を論づる一つの学問となつた。

●奈良朝時代は、万葉集のやうな立派なものがあるも当時は漢詩漢文が一であり、又万葉仮名が難解であつたために遠ざけられた。一般人は読むことすら出来なくなつた。 村上天皇の天暦五年(西暦九五一年)、万葉集に訓点を加へたが、徳川時代の下河邊長流や契沖の研究からすれば多くの誤謬があつた。

●万葉集の研究は長流・契沖の努力で一般的になる。

●古今集は仮名で書かれてゐる為、容易であつた。

●歌学とは和歌の姿を論じ、種類を説き、歌の作り方を教へた。紀貫之の古今集序がそれである。それが又複雑となり堕落して秘伝となる。

●歌合せが行はれると優劣をつけるやうになる。(延喜の頃から)

●よつて形式に囚はれ、自由に想像する思ひのまま詠む事は出来なくなつた。しかし鎌倉以降発達したが、煩瑣(こまごまとして煩はしい)になつた。それは「家」といふものが起つた事による。

●学問の衰へた武家時代にも保たれてゐたが、秘伝主義となり自由な研究は出来なくなつた。

●流派は多岐に渡つたが、主流は平安朝末の藤原顕季の六条家、藤原俊成と定家が大成さる。しかし大体は形式論であつた。また秘伝を知らぬ者は和歌を詠む資格なし、として排斥した。これは正しい意味での国学の発達とは言へない。

●元禄前後の下河邊長流(歌人・国学者。大和の人。歌道の伝統主義の打破を主張し、万葉集の注釈・研究に新風を示した。著「万葉集管見」「林葉累塵集」「晩花集」)や契沖が出て、国学の一翼を担つた。

 

筆者考:現在では誰でも和歌を嗜む事が出来るが、それは下河邊長流や契沖が、長年に渡つた秘伝主義や流派に風穴を開けた事が功績となつた。今では毎年一月に宮中では歌会始が行はれてゐるが、国民誰でも詠進することが出来るやうになり、選に預かつた歌、選者の歌、召人の歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌と続き、最後に 天皇陛下の御製が披講されるやうになつた。これは和歌と言ふ大和心の顕れを通じて、君民一体となると言へよう。