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皇道日報「邪教日蓮抹殺の先覚者」昭和十六年十一月二十九日

■日蓮宗が大不敬大叛逆思想の結晶する邪教なる事を看破し、之を排撃し、是れを抹殺せんとせる人々は古今恐らく数百人或いは数千人にのぼるならむ乎。

■予の知れるは徳川時代に神敵と断ぜし平田篤胤大人あり、又此時代に日蓮の聖地千葉県にもありと今月七月一読者の通知ありしも其芳名を逸せり(今一度恐縮乍ら御通知を願ふ、國體明徴運動史に大書すれば也)、明治二十四年に帝大史料編纂官小倉秀貫先生あり(此人の経歴を知る人あらば此通知を願ふ)、大正十年に田中智學を訪問して日蓮主義國體論は國體破壊思想なりと詰問して智學を閉古赤面せしめたる皇道斎修会々主鬼倉重次郎先生あり、昭和三年には予の恩師松本道別先生あり、其後惟神行の大斗梅田伊和磨先生あり、皇學大學者山田照胤先生あり、盡忠至極の奉眞次中将あり、皇道學の権威佐藤清勝中将あり、國體明徴の國寶的學者蓑田胸喜先生あり、皇道大家三浦一郎先生あり、楠公会長徳重三郎先生あり、勤皇運動家田邊宗英先生あり、皇道的志士添島輝彦先生あり、之等の諸先學者は演説に座談に又雑誌や新聞或は著書に日蓮の逆賊性を排撃せられし所也、降りて吾が徒の如きは今年二月下旬漸く之を知りし所にして、之等諸先學者の末座に連らなるに過ぎず、今、十一月二十八日朝三時、拜神、國體明徴祈願後、之等の諸先輩を想ふ、偉容、勇姿忽然として机前に現はる、覚へず低頭し此一文を記す。

■明治二十年頃には伊勢に日蓮征伐の演説会を数百回開催して、壇上日蓮木像を足蹴にせる壮士あり、大入満員の盛会なりきと、此人の英名を知る人今なきが如し、想ふに此人も豪傑ならむ、忠君愛國の豪傑、眞の勇士なりけり。

■官吏にも其人なきに非らず、其名をあぐるは憚る所なるが、臣道實践を其職域に於て行ふ所也、頼もしからずや、國體明徴運動や朝野協力して行はざれば完成するものに非らず、官民一致して、國體につかへまつる所に國體は明徴せらるべし、國内にまつろはざる者無きを期するが國體明徴に非らずや。

■國體を明徴ならしむるは臣道也、臣道は即時實践すべし、断じて躊躇するを許さず矣、斯く臣民として「生ける驗」あり、御國に生れし甲斐ぞある所也。

■今や諸先輩の志は成らんとす、朝に國體明徴認識の忠吏ありて、大不敬大叛逆思想の結晶する日蓮宗は断罪せられんとす、七百餘年も棲息せし大邪教は壊滅せしめられんとす、嗚呼愉快なる哉。

昭和十六年十一月二十九日