皇道日報(防共新聞)紙名復元のお知らせ

久しくあるかな、寸時なるかな。「防共新聞」は昭和二十四年発刊し爾来六十五年を迎へた。前身たる「皇道日報」は同八年に創刊されたるも、終戦によりGHQの干渉を余儀無くされ発禁処分となりぬ。あやふきなりしは当時の日本人なり。精神面では終戦による動揺頗る甚大にして、政治面では戦勝国に悉く支配され、猶ほ且つ思想面では赤匪の勢ひ檻中より解き放たれたる猛虎の如し。主筆であつた福田素顕、活動停止を命ぜられるも斯かる様相座して黙過する能はず、社名及び紙名を変更し、そを「防共新聞」とす。
サンフランシスコ講和条約は締結され、而して東西冷戦構造は終結した。当然の趨勢として赤化暴力集団、革命反乱の徒は徐ろに街頭より撤退するに及べり。然り乍らこれ彼れらの思想信条、及び信仰が日本主義に回帰したる結果に非ず。時勢の不利を察したが為その姿を隠し、或いは糊塗したるものと看做さずんば能はず。以て今猶ほ人心乃至各機関に赤化思想の潜在充満したることは疑はざるべからざるなり。
且つ近年は、長らく赤化教育及び思想の布かれてゐた悪果顕はとなり、しかのみならず、赤匪を産みの親とするもその思想は次第に変化成長を遂げ、巧妙且つ複雑化してゐる有様である。畢竟、反日非日とするところ共通なれ。
おもへらく、かくなる時代に際して一方で「防共」の使命は一先づの達成を、又た一方では愈々 皇国重大事・慎重期と看取す。
固より弊紙はただ赤化を防止する目的にとゞまらず、
尊王精神発揚、国体明徴にありしなば、以て再び「皇道日報」の名を復さんことを決意す。日本人として昭和平成二沢の鴻恩を賜ひ、今以て素顕翁の志操を明らめ、皇国中興の微力を捧げむはこれ社員一同の本願なりき。
以上、読者諸賢の御理解を賜はり、亦、社員一同一層勉励専心致し筆剣を奮ふ所存なれば、向後倍旧の御指導御鞭撻を乞ふものである。
平成二十五年六月吉日
皇道日報社 社員一同