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身延山久遠寺を焼き討ちし 皇国体闡明に期す 世界皇化浪人 下山陽太

北一輝

北一輝

本年は 皇国が世界維新戦争たる大東亜戦争に敗北し、七十年てふ節目の年である。七十年だからと云つて、新しき事を云ふ積りは毛頭無い。一貫して、戦後体制及び檀家制度を打倒し、神代復古を成就するてふ信念に何等変はりは無い。其の為の手段である思想戦争及び宗教戦争を肯定し、実践する事も変はらない。昨今は安保法案で世上は騒がしいが、神代復古成就を阻害するは憲法では無く、仏魔である。仏魔を掃滅させない限り、神代復古成就は到底不可能である。昨今の憲法云々に関する所感について、簡単に述べたい。
巷で「偏差値の高いネトウヨ」と評される『国体文化』を発行する日本国体学会の創設者・里見岸雄のやうに、需要も供給も無く、頼まれもしないのに日本国憲法及び皇室典範改正案を『憲法・典範改正案』と称し天下に喧伝したり、読売新聞社の『読売新聞日本国憲法改正試案』(平成六年十一月三日付朝刊十七面)のやうに国民主権主義謳歌憲法を恥ぢらいも無く朝刊に掲載したり、と 皇国体忘却破廉恥痴漢集団が憲法を語つても説得力が無い。然も、賛同する人士も見た事は無い。残念な事に其の根底たる 皇国体思想が頓珍漢だつたり、皇国体概念を何処かへ置き忘れてしまつた連中が憲法改正を語つても、皇国体闡明には繋がらない。皇国体概念無き憲法改正論議は不毛でしか無い事は当たり前なのである。さう、憲法てふ概念こそ、皇国体の面目を阻害してゐる要因にして、「主権在民」所謂、「国民主権主義」が諸悪の根源である。皇国に議会制民主主義なるものが根付き、碌な事があつたか否や、読賢諸君に問ふ必要も無いであらう。若し、昨今跋扈してゐるネトウヨを自称する者で議会制民主主義を肯定する人士が居るならば、其れは 皇国の大義を忘却してゐるに他成らない。「民主主義は糞食らへ」てふ立場こそ、右翼の在るべき姿であらう。
扨て、本題に移らう。

磯部浅一

磯部浅一

吾等の先達が右翼陣営及び 皇国の面目を汚辱した国柱会・田中智学、日本国体学会・里見岸雄、石原莞爾と云つた連中を抹殺出来なかつた事は悔やまれるが、其の門人及び没後門人が陣営内に巣食つてゐるのは明白である。里見岸雄は『国体論史上』に、
今日の学者思想家の一部、特に仏教とか儒教とかいふ外国より渡来せる思想教学に対し、むしろ感情的に拒否する態度を執る人々の中には、仏教は反国体的であり、儒教は非日本的である、といふやうな何等学問的にも思想的にも確実な根拠のない排他的感情に基く独断を前提とし、否、かゝる独断を恰も国体上自明の公理なるかの如くに誤信して、然もその立場から過去の仏教的国体論や儒教的国体論を一概に反国体的、非日本的思想として取扱ふやうな態度も亦甚しく不当なるもので、我々は、かゝる態度に同意し得ないのである。若しかやうな独断的排仏排儒を許すとするならば、それは実に、過去の天皇統治史を否定しなければならない事になるから、かへつてそれこそ反国体的と曰はざるを得ぬ。何となれば仏教も儒教も皇室御自ら御採用になり、そして歴代天皇親しくこれを用ゐたまうたものだからである。
と尤もらしい事を述べてゐるが、直近の維新たる明治御一新は、明治天皇御自ら 皇城内の仏臭(ほとけくさひ)ものを抛却した。明治天皇の御心は本教を以て治教遊ばされようとした事は 皇政復古及び祭政一致を宣言し、神祇官を再興させた事からも容易に恐察する事が出来る。だがしかし、歴代天皇尊の神仏習合的治教を否定した御聖断を下されたにも関はらず、坊主共は性懲りも無く、仏国土建設に励もうとしてゐる。抑々、仏魔が如何に 皇国体を淫し続けて来た事か 皇国史を通観すれば明白であり、更には仏魔が混濁した世を救済した事実も 皇国史には存在しない。其れ処か仏法が興隆すると、世が乱れるのは 皇国史の常である事は火を見るよりも明らかだ。『太平記』巻第十六に「日本朝敵事」といふ項目があり、天皇尊に弓を引きし、朝敵の名が羅列されてゐる。曰く、
大石山丸(文石小麻呂)・大山王子(大山守皇子)・大友真鳥(平群真鳥)・守屋大臣(物部守屋)・蘇我入鹿・
豊浦大臣(蘇我蝦子)・山田石川(蘇我山田石川麿呂)・
左大臣長屋(長屋王)・右大臣豊成・伊予親王・氷上川継・橘逸勢・
文屋宮田(文室宮田麻呂)・恵美押勝(藤原仲麻呂)・井上皇后(井上内親王)・早良太子(早良親王)・大友皇子・藤原仲成・
天慶の純友(藤原純友)・康和の義親(源義親)・宇治の悪左府(藤原頼長)・六条判官為義(源為義)・悪右衛門督信頼(藤原信頼)・安倍貞任・宗任・清原武衡・平相国清盛・木曾冠者義仲・阿佐原八郎為頼・時政(北条時政)九代の後胤高時法師(北条高時)に至るまで、朝敵と成つて叡慮を悩まし仁義を乱る者、皆身を刑戮の下に苦しめ、尸を獄門の前に曝さずといふ事なし。
と。仏魔が跳梁跋扈すれば賊が現れると云ふ何よりの証拠である。抑々、仏魔は釈迦の云ふ事は聞くが、神勅は奉戴しない。吉田松陰先生が、「神勅相違なければ、日本は未だ亡びず。日本、未だ亡びざれば、正気、重ねて発生の時は、必ずある也。只今の時勢に頓着するは、神勅を疑ふの罪、軽からざる也」と述べられてゐるやうに仏魔は神勅の存在を疑つてゐるのか、其れとも、神勅の存在自体を知らないのか分からないが、神勅奉戴しない現状の仏魔では負の働きしか無い非皇国体勢力であり、更に云へば、皇国体闡明を阻害する厄病教である。厄病教たる仏魔を 皇土から消除するのは本教を信仰する人士として当たり前である。其の為の廃仏毀釈であり、宗教戦争である。豊臣秀吉公が天正十五年六月十九日に「伴天連追放令」を発令したのだが、其の一文には、「日本ハ神國たる処きりしたん國より邪法を授候儀 太以不可然候事」とあり、耶蘇教も勿論の事乍ら、仏魔も追放されて然るべき邪教なのである。島崎藤村翁の『夜明け前』に、「仏徒たりとも神国の神民である以上、神孫の義務を尽くして根本を保全しなければならぬ」と筆述してゐるが、残念乍ら重大な誤りがある事を読賢諸君に訴へたい。仏徒は 神孫皇たる自覚を遥か彼方へ置いて来てしまつた連中であり、彼等が神孫たる義務を果たす事は無理に等しく、本来あるべき 皇民の責務たる 皇国体闡明は不可能である。
読賢諸君の中には愚生が気狂ひ人の如く、日蓮宗を攻撃してゐる事に疑問を感じてをられる方が居るであらう。其れは平田篤胤及び福田素剣両大人の道統に連なつてゐるてふ自負があるからである。殊に『皇道日報』昭和十六年十一月二十九日号に「邪教日蓮抹殺の先覚者」との題名で福田素剣大人は、
予の知れるは徳川時代に神敵と断ぜし平田篤胤大人あり、又此時代に日蓮の聖地千葉県にもありと今月七月一読者の通知ありしも其芳名を逸せり(今一度恐縮乍ら御通知を願ふ、國體明徴運動史に大書すれば也)、明治二十四年に帝大史料編纂官小倉秀貫先生あり(此人の経歴を知る人あらば此通知を願ふ)、大正十年に田中智學を訪問して日蓮主義國體論は國體破壊思想なりと詰問して智學を閉古赤面せしめたる皇道斎修会々主鬼倉重次郎先生あり、昭和三年には予の恩師松本道別先生あり、其後惟神行の大斗梅田伊和磨先生あり、皇學大學者山田照胤先生あり、盡忠至極の奉眞次中将あり、皇道學の権威佐藤清勝中将あり、國體明徴の國寶的學者蓑田胸喜先生あり、皇道大家三浦一郎先生あり、楠公会長徳重三郎先生あり、勤皇運動家田邊宗英先生あり、皇道的志士添島輝彦先生あり、之等の諸先學者は演説に座談に又雑誌や新聞或は著書に日蓮の逆賊性を排撃せられし所也、降りて吾が徒の如きは今年二月下旬漸く之を知りし所にして、之等諸先學者の末座に連らなるに過ぎず、今、十一月二十八日朝三時、拜神、國體明徴祈願後、之等の諸先輩を想ふ、偉容、勇姿忽然として机前に現はる、覚へず低頭し此一文を記す。
と筆述した。邪教日蓮宗抹殺を図りし、先覚者が明記されてをられるが、福田素剣大人も一貫して邪教日蓮宗抹殺運動を行つて来た事は燦然と右翼運動史に残されてゐる。其の為、大人が創設された大日本愛國團體聯合・時局對策協議會の末席を汚す愚生が邪教日蓮宗抹殺を行ふは当然の経緯である。

西田税

西田税

扨て、福田素剣翁が邪教日蓮宗抹殺を図らうとしたのに対し、右翼陣営の面目を汚した日蓮主義者として、悪名高いのは北一輝である。北一輝の著述を余多読み耽けたが、残念な事に評価すべき個所は何も無い。精々、見つけるとすれば、クーデターを肯定した所しか無い。然し乍ら、大義名分忘却のクーデターを嗾けた為に 皇神の随に膺懲の大鉄槌が下され、銃殺された。そして、北一輝の害毒を垂れ流し続け、野村秋介烈士に「松本(健一)なんていふのは殺さなきやいけない」と云はしめた松本健一が昨今、身罷つたが、日蓮主義研究をしても、皇国体の生成発展に何も寄与しない事は明白であり、松本健一の北一輝研究は北一輝信奉者を無造作に作つたに過ぎない。北一輝の門人たる磯部浅一も日蓮主義者特有の精神疾患を患つてをり、『獄中日記』を見れば、反吐が出てしまふ。神孫皇民たる日本民族が本教たる惟神大道を忘却し、仏魔を信奉すれば、必ず神罰が下され、碌な死に方をしないのは 皇国の理である。其れを体現したのが、北一輝・磯部浅一である。彼等は日蓮主義に被れた人士の末路を身を以て、証明した模範であり、教科書である。北・磯部を反面教師とし、彼等の如く、碌な死に方をしない様に日々尊皇、日々敬神、日々崇祖を以て、生きさへすれば、皇神は吾等を御加護して下さる事は間違ひ無い。さう、本教に帰依し、皇国体闡明の戦士にならうでは無いか。
尊皇攘夷・敬神崇祖・廃仏毀釈


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