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錦旗革命は高天原主義で以て成就されたし 世界皇化浪人 下山陽太

戦後保守は「資本主義肯定」、「赤色思想排撃」を標榜してゐるが、右翼は大資本の利益を守る暴力装置に非ずして、「瑞穂国」を建設する事を第一義に考へる立場である。大川周明博士一派の狩野敏氏及び津久井龍雄氏が中心となつて結成された「全日本愛国者共同闘争協議会(日協)」の綱領を見てみると、
一、我等は亡国議会政治を覆滅し天皇親政の実現を期す
一、我等は産業大権の確立により資本主義の打倒を期す
一、我等は国内階級対立を克服し国威の世界的発揚を期す
以上三点であり、又、日協に加盟し、其の前衛闘争を担つた大日本青年同盟の綱領には「我等は人類社会の共存共栄を破壊する世界資本主義と空想的国際主義の徹底的排撃を期す」とある。つまるところ当時の右翼は戦後の保守派と違ひ、資本主義を如何に粛正するか考へてゐたわけである。其の為、自称「名誉米国人」筑波大学名誉教授・中川八洋の如く、戦前の右翼を共産主義信奉者と見做すのは適当では無い。宇内に貧富の差を齎す「資本主義」解決の使命が与へられたのは、世界の警察を自称するやうな世界暴力団たる米国では無く、天皇尊を奉戴する 皇国しか有り得ない。資本主義を是正し、地上に高天原を建設する原理として高天原主義について、今回も述べたい。大日本生産党機関誌『改造戦線』第十一号「金権走狗の乱舞せる醜悪選挙の正体」に曰く、
今日我国の議会は、既に此等資本主義の寄生虫達によつて完全に占拠され、亡国的毒ガスは盛んに発散されつゝある。そして今やかゝる亡国議会と、毒ガス的寄生虫の諸政党は、徹底的にこれを排撃撲滅されなければならぬ。我々革命的大日本主義者の重大任務は、即ちかゝる亡国議会の否認と、毒虫的既成赤白両党の撲滅闘争であり、更に突き進んでは、その存在の根本を形成する資本主義制度の徹底的変革であり、そしてその究極目標は、その勇猛果敢なる決死的闘争を戦ひ抜く錦旗大革命の建設である
と。
高天原主義の根本理念とは、普天の下・率土の浜に至るまで皆悉く 天皇尊の御物であると云ふ事である。赤色思想は凡てのものを党や国の所有物とする「公地公民」であるが、高天原主義は 皇室財産であり、所謂、「皇地皇民」である。
京都学派を中心に「近代の超克」を主張したが、近代を乗り越えた先に何があるのか、誰も知らないにも関はらず主張するのは禅問答に等しい。皇国では「超克」で無く、「復古」でなければならない。皇国は元来、進化主義及び進歩主義なぞ、奉じてをらず、凡て、復古に帰一されなければならない。復古とは、高天原を地上に建設する、と云ふものであり、所謂、神代復古にある。復古を成就する為には近代を打倒しなければならない。誤解してならないのは近代の打倒とは、近代的概念を打倒する事でテレビや冷蔵庫を叩き壊すやうなものでは無い。高天原を建設するに当つて、天皇尊と皇民の間の不当中間勢力は廃絶しなければならない。前号にも引用したが、愛国勤労党の綱領に、「天皇と国民大衆との間に介在する一切の不当なる中間勢力を排撃し、一君万民、君民一家の大義に基づき搾取なき国家の建設を期す」とあるが、愚生は其の不当中間勢力を「国家」である、と定義する。其の「国家」と云ふ概念を廃絶し、天皇尊と皇民が君民一体となつて、高天原を建設し、共営する事である。高天原とは何ぞ。其れは貨幣及び税金、そして、所有と云ふ概念が無い社会こそ、高天原である。貨幣と云ふ存在は人間の道徳心を損なふものであり、一層の事無くしてしまへば良い。唯物主義、貨幣第一主義と対峙出来るのは高天原主義しか無い、と断言したい。古の 皇国には憲法が存在せずとも、君民一体となつて共治及び共営が出来たのは、畢竟 天皇尊の御稜威が溌溂としてゐたからであり、憲法あつての成果ではない。然るに憲法に依拠し経世ありと信じてやまない近代的価値観と、憲法を以て統治されてゐる現状を恥ぢるべきである。皇国に於いては憲法と云ふ概念なぞ、どうでも良いものであり、天皇尊の大御心が絶対である。天皇尊の祭祀は国体法の頂点に立つものにして、天皇尊の祭祀に基く 皇道政治及び 皇道経済は 皇国の大御掟である。所詮、左と右と云ふ教条的且つ短絡的な区別は吾等皇民の不毛な戦ひでしか無い事となる。
祭祀に依つて、神と人が合一し、祭祀の理念で以て、政治及び教化が行はれる。此れが祭政教一致の理念であり、治教たる本教(惟神大道)の本義が闡明にされ、皇土各地に祭祀が滞り無く挙行されゝば、政治と云ふ概念は必要無くなる。窮極的 皇国体明徴の本源は此処にある。其の為にも産土大神への尊崇無くして、吾等の生活の安心は有り得ない。本田親徳翁著『産土神徳講義』に曰く、
其の各町各村、苟も人民在る所々、産土の神社あらざるなし。是れ人間、過去・現在・未來の保護を受けて、千萬世に至りて、其の子孫の恩頼を受くる神霊なれば、必ず之を尊崇せざるべからず。霊魂上に於ては、固より凡夫の容易く知り得難き事柄なる故に、即ち今ま置いて論ぜず。眼前に老若男女の日々目撃する所を以て之を云はんに、其の遠祖の代よりして、其の土を踏み、其の水を飲み、其の地の五穀を食ひ、其の地上に家居し、其の竹木を用ひ、其の金石・其の珠玉・其の布帛・其の言語・其の里風・其の氣候・其の風景・其の器械・其の秣・其の魚鳥・其の海藻野菜・其の大氣・其の雨露云々を、朝夕資用する物品、悉く産土神の賜にあらざるなし
と。
産土大神を尊崇しない人士の敬神なぞ、信用に値しない。殊ある事に保守派は靖国神社や明治神宮に参拝するが、其の反面、産土神社へ参拝してゐる人士が果たしてどの位居るのか。更に云へば、自分自身の産土神社を云へない人士も居る筈である。政治的君民一体より、祭祀的君民一体も必要不可欠であり、其の為にも産土神社再建は必要不可欠な事柄である事を肝に銘じ、神社へ参拝しなければならない。
国家社会主義独逸労働者党・アドルフ・ヒトラー指導者は『我が闘争』に「国家は民族的組織であつて経済組織ではない」と述べてゐる。
何となれば、国と云ふ存在を株式会社では無く民族共同体である、と定義してゐるのだが、残念な事に現在の 皇国は株式会社に成り果ててしまつた。又、第三帝国(ナチス・ドイツ)が一九三七年に発行したライヒマルク貨幣には「公益は私益に優先する」と刻印されてゐたが、国家の利益より個人の利益を優先を考へる傲慢なる資本主義が汚染された国家が株式会社のやうな存在に成り下がつた果ての姿である。「企業の国有化」、「利子奴隷制打破」、「国際金融資本との戦ひ」こそ、皇国の真姿である。銀行は大資本の為に存在するのでは無く、貧困者及び助けを求める人士のものでなければならないが、銀行を国営化する事で企業が金策に困る事は無いのである。又、株式及び投機は不労所得であり、市場や企業を食ひ物にするものであり、無用の産物に過ぎない。自由放任経済たる資本主義は弱肉強食の論理であり、貧富の差が生まれる諸悪の根源である。企業及び市場を粛正し、皇国で産み出された富は皇国へ還元されるやうに産業大権を 天皇尊に奉還し、君民一体経済体制を建設しなければならない。更に云へば、国及び日本銀行の貨幣発行権を 天皇尊へ奉還もすべきであらう。
松岡駒吉氏と云ふ社会民衆党から選挙に打つて出た人士が居るのだが、其の選挙チラシには「大産業を奉還せしめ社会主義日本建設を提案す」とあり、大化の改新、明治維新に執りたる我が祖先の実践に従ひ、資本家、地主をして、その大産業、土地、銀行等の重要生産機関を 天皇陛下に奉還せしめ、もつて社会主義に基く国家統制経済制度を樹立し、国民生活の国家保証を断行せんとする
と云ふ公約を掲げ、其の実現法として、「資本家地主に対する産業奉還決議案を提出し、これが通過を期し度い」とある。又、松岡駒吉氏の選挙ちらしの裏面には安部磯雄氏が「産業奉還と昭和維新」と題し、
財産には二種の区別があることを考へなければならぬ。一は消費財産であり、他は資本財産である。私共が日常要する所の衣食住は消費財産であつて、資本財産ではない。然し、家屋も自らの住居のため使用する場合には消費財産であるけれども、収入を目的とする借家は其持主に取りて資本財産である。斯くの如く考へ来れば、資本は財産の一部であつて全部ではない。私共の主張は資本財産だけを全部天皇陛下に奉還して、消費財産は依然として私共の所有とすべしといふにあるのだから、私有財産制度の廃止にあらずして、単に制限である。
と述べ、条件付きで私有財産制度を是認した。
天皇尊に奉還すべきものは、
金力大名が其占領して居る水力電気事業、製糖事業、鉱山事業、造船事業、製鉄事業、運輸事業、植林事業、漁業等は勿論、銀行業、保険事業、百貨店事業等の如きを奉還してこれを国家管理に移すに在る。言ふまでもなく土地は何よりも先きに奉還すべきものである。
と述べた。
維新とは、奉還である。奉還無き維新は維新に非ずして、単なる皇民の政権奪取は功利主義に過ぎない。大化改新、建武中興、明治御一新は「奉還」が第一義であつた事は努々忘却してはならず、「維新」を標榜する大阪維新の会等と云つた維新を標榜する政党の公約を見渡しても彼等は「奉還」を主張しゐない。彼等の云ふ維新に正統性が無い事は明白である。殊に愚生が声を大にして云ひたいのは通貨発行権の
天皇尊への奉還である。吾吾が身近に使用してゐる日本銀行券を使へるのは日本国があるからであり、日本国が消滅すれば、塵紙や鼻紙、そして、燃料ぐらゐにしか過ぎない。日本は 天皇国であり、貨幣を担保する存在は 天皇尊でなければならない。話は逸れるが、吾等が忠誠を誓ふは国では無く、天皇尊にある。尊皇家にとつて、国家の存亡はどうでも良いものであり、考へるべきは 皇室の絶対安定にある。愛国と尊皇は似て非なるものであり、愛国は国家への愛国心、尊皇は 天皇尊への尊崇である。日本即ち 皇国と云ふ概念に立つた場合には尊皇無き愛国心は天○機関説になる。其の天○機関説は一木・美濃部国体猥褻学説から生まれたものであり。其の信奉者は露出狂より質が悪く、是非共、公然猥褻で逮捕して戴きたいのだが、其の影響を多大に受けた北一輝の天○機関主義的国家社会主義は 皇国救済を果たせず、其の最期は同情する価値も無いぐらゐである。然し、此処で断言したいのは日蓮主義信奉者はろくな死に方をしない為、若し、自身に身の覚へのある方は早期に本教へ転向する事を御勧めしたい。良き本教原理主義は仏魔と戦ひ仏壇を家庭内から投擲し、宗教戦争に挺身する事にある。本題から逸れてしまつたが、大川周明博士著『維新日本の建設』には、
来るべき第二維新においては、倒さるべきものは黄金を中心勢力とする閥であり、興さるべき者は貧苦に悩む多数の国民である。すなわち第一維新の標語が尊王倒幕なりしに対し、第二維新の標語は正しく興民討閥でなければならぬ
と述べた。
所謂、「黄金を中心勢力とする閥」とは、財閥の事であり、其れを現在に当てはめるならば、経団連であらう。経団連に「金権思想・営利至上主義の大企業体質」を正す為に野村秋介烈士等が経団連襲撃をしたり、「己の身の保全と党利党略のみに奔走する為政者どもと売国大蔵官僚を一掃し、物質至上主義の戦後体質から道義国家としての真姿日本の建設」を行ふ為に東京証券取引所を襲撃した革正評論社・板垣哲雄烈士が資本主義と対峙し、蹶起したやうに資本主義を打倒し、高天原主義を基とする経済体制を建設しなければならない。全国の同志よ、高天原主義の旗の下に集ひ、高天原を地上に建設しようではないか。
尊皇攘夷、敬神崇祖、廃仏毀釈