第一三五六詔 刑律選定の詔(明治二年九月二日)

第一三五六詔 刑律選定の詔(明治二年九月二日)

大八洲ノ國體ヲ創立スル、邃古(スヰコ※大昔の意)ハ措テ不論(ロンゼズ)。神武以降二千年、寛恕(クワンジヨ※大御心をもつて、万民を治め給ふの意)ノ政、以テ下ヲ率ヰ、忠厚ノ俗、以テ上ヲ奉ス。大宝ニ及ンテ、唐令ニ折衷スト雖(イヘド)モ(も)、其律ヲ施スニ至テハ、常ニ定律ヨリ寛ニス。其間、政ノ汙隆(ヲリユウ※盛衰の意)、時ノ治乱ナキニ非サルモ、大率(オホムネ)、光被(※隅々まで世に及ぶの意)ノ徳、外蕃(※外国の意)ニ及フ。保元以降、乾綱紐(ケンカウチユウ※大権が 天皇尊から離れ、世の中が乱れるの意)ヲ解キ、武臣権ヲ専ニシ、法律以テ政ヲ為シ、刀鋸(タウキヨ)以テ下ヲ率ユ(※【刃物とノコギリを転じて刑罰の意】を厳しくして民を服従させること)。寛恕(クワンジヨ)忠厚ノ風、遂ニ地ヲ掃フ。今ヤ太政更始、宜ク古ヲ稽(カンガ)ヘ(へ)、今ヲ明ニシ、寛恕(クワンジヨ)ノ政ニ従ヒ、忠厚ノ俗ニ復シ、万民所ヲ得テ、国威始テ振フヘシ。頃者(コノコロ)、刑部新律ヲ選定スルノ時、仍(ヨツ)テ茲旨(コノムネ)ヲ体シ、凡(オヨソ)八虐(※謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義)故殺強盗放火等ノ外、異常法ヲ犯スニ非サルヨリハ、大抵寛恕、以テ流以下ノ罰ニ処セシメントス。抑(ソモソモ)刑ハ、無刑ニ帰スルニ在リ。衆其商議シテ、以テ上聞セヨ。

〔謹解〕
神武天皇肇国以来二千年の間は、大御心をもつて政をなされて、万民をお治めになり、万民も厚い忠義の心を捧げて、天皇にお仕へ申しあげた。大宝(文武天皇の御代)になつてから、唐の法律や制度を採り入れたが、刑の施行は、法よりも寛大であつた。保元(後白河天皇の御代)以後は世が乱れ、武家が政権を握り、刑罰を厳しくしたので、昔の美風が消え失せた。そして今、大政を一新するに当り、再び古の美風にかへし、万民が安心して生活し得るやうにしなければならない。そもそも刑罰は無き方が良いのであり、刑部省が新らしい刑法を定めるに当つては、よくこのことを心得、非常な重罪にあらざる限り、流罪以下の寛大な罰に処するやうにしたいと思ふ。

※王政復古の大号令渙発百五十周年を迎へ明治以降の詔を謹み敬ひてここに記す。

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