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元号の事前発表について  岡 學歩

今上天皇が譲位をされ平成三十一年卯月を持つて平成は結びとなる。
しかし、政府は新たな元号を一か月前倒しての発表を決めた。

現在の生活、経済状況から見れば事前に新元号が分かつてゐるとコンピュータのシステム更新や印刷物に於て利便性がある事は事実であらう。

しかし元号の本義を考へると果たして事前発表は正しいと言へるのか?

今上天皇が国民の生活と経済状況を考慮し事前公表する事をお決めになられたのであれば、それは詔であり反対する事が不敬である。
今回の事前発表の意思決定は政府の独断であるならば前例のない極めて不敬な行為である。

国民の視点から見ても、改元に対し意識が高いとは言ひ難い。
経済的なメリットを前面に打ち出されれば事前発表に反対する理由はないのが現実である。
政府、国民含め日本の成立ちや思想が蔑ろにされてゐると感じる。
それは、国民の祝日にも見て取れる。年中行事や節句は、その日に制定された意義がある。
それを連休にした方が経済的だからと月曜に集約しては本義を見失ひ何れは廃れる。

現在の日本は経済を優先するあまり本義を見失ひかけてゐる。国際協調も大事であるが何を優先すべきかを見失つてはいけない。

元号廃止など極論的な意見もある中で、元号を用ゐる事を紡いでいく事は日本の伝統、文化を守る事と同義である。しかし本義を失つた伝統、文化は形式ばかりで中身が無いものになつてしまう。

改元に関しては一ヶ月に前倒し発表で何が変はるのだらうか?
結局のところ、システム更新などに伴ふトラブルなどは多かれ少なかれあるだらう。
本当に経済最優先ならば二代先の元号を事前に発表しておく位の案でなければ意味がない。
加へて云ふならば、この案も政府の独断であつては悪法でしかない為、最終的には詔である必要がある。

事前に元号を発表する事に対する根本的な問題は、政府を含む国民の意識の低さがある。
この件に対し本義を持つて意見できる臣民が少ないのである。
その解決の手段として教化は必要だが、どうすれば良いかは、常に課題となる。
もう一点は、矢張り我々は臣民として王政復古を目指していく事が課題と考へる。
日本の様々な慣習、行事、伝統は、文化として継承していく事はできても、思想なきままでは形骸化してしまう。
これまで述べたやうに、詔であればそもそも問題提起にすらならない。
詔が発せられるまでの議論や有識者会議は必要であらう。しかし、総理大臣を任命する際には 天皇より任ぜられると云ふ事の本義を今一度認識しなければならない。

編集員 岡 學歩