朕、祖宗二千五百有餘年ノ鴻緒ヲ嗣キ、中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總覽シ、又夙ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世、子孫繼クへキノ業ヲ為サンコトヲ期ス。嚮ニ明治八年二元老院ヲ設ケ、十一年二府縣會プ開カシム。此レ皆漸次基プ創メ、序ニ循つて歩ヲ進ムルノ道二由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆亦朕カ心ヲ諒トセン。
顧ミルニ、立國ノ體、國各宜キヲ殊ニス。非常ノ事業、實ニ輕舉ニ便ナラス。我祖我宗、照臨シテ上ニ在リ。遺烈ヲ揚ケ、洪謨ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、断シテ之ヲ行フ。 責、朕カ躬ニ在リ。將二明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス。今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム。其ノ 組織權限ニ至テハ、朕親ラ衷ヲ裁シ、時ニ及テ公布スル所アラントス。 朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時會 速ナルヲ競フ。浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル。 是レ宜シク、今ニ及テ謨訓ヲ明徵シ、以テ朝野臣民ニ公示スへシ。若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスへシ。特ニ茲ニ言明シ、爾有衆ニ蘇ス。(「三條實美公年譜」、「法規分類大全」)
承詔必謹