第一三八一詔 祭式を古式に復し春季御祭典を擧げ給ふの宣命
天皇の大命に坐せ。掛けまくも恐き八柱の大神、天神地祇、八百萬神、御代御代の天皇、都(すべ)て三所の大前に、從四位行侍従藤原朝臣資生を使として白し給はくと白さく。新き代の茂(いか)し御代と、祭式を改め正し給ふ時に方りて、中世より其の祭に他道(註一)の繆(あやま)りまじこれるを除き給ひ去り給ひ、正しき式に復し給ひて、彌益益に天皇の大殿、又皇太后の大殿を始めて、殿と云ふ殿の內外は、平けく堅石(かきは)に常石(ときは)に護り幸ひ給へと、乞い祈み給ふ事を聞食せと宣る。如此聞食してば、今より後古道に違ふ事無く過つ事無く、持ちゆまはり靑まはりて仕へ奉らしめ給はむ狀を見行し聞食して、天皇の大朝廷を始めて、仕へ奉れる百官人等、天下の公民等に至るまでに、いかしやぐはい(註二)の如く、立榮えしめ給へと宣る 天皇の大命を、聞食せと恐み恐みも白す。(「太政官日誌」)
註一 仏道の意
註二 五十橿八桑枝 大きく茂り栄えた橿や桑のように立派なの意
※王政復古の大号令渙発百五十周年を迎へ明治以降の詔を謹み敬ひてここに記す。(出典:錦正社出版 みことのり)