天皇の大命に座せ。今日新に鎭め奏れる諸の靈の前に、式部寮七等出仕兼大掌典従六位松尾相永を使ひとして、白し給はくと白さく。天皇の大命の隨に、去年の五月に臺灣事務都督西郷從道に從ひて、彼の島に至りて其の賊等を伐ち平らげし時、各も各も明く正しく武く雄々しき心以て戦び身亡し事を、甚く惜み痛ませ給ふ。故れ其の状を忘れ給はず、其の功を長に傳へ給はむとして、今年より始めて、彌遠長に祭らせ給はむ事の由を聞食せと白し給ふ天皇の大命を、聞食せと白す。(「陸軍省日誌」)
※明治四年に台湾先住民が琉球(沖縄)島民五十四名を殺害したことや明治六年に岡山県の船員が略奪された事を受け、明治七年に台湾に出兵した。外務卿副島種臣は、日清修好条規批准の為、清(支那)に赴いたとき,琉球(沖縄)帰属問題を含めて台湾漂流問題を交渉したが,清国側はこれを拒否。よつて台湾に出兵。戦死戦病死合はせて五一二柱。同年大久保利通が清国と交渉し償金五十万両を得て撤兵。
承詔必謹