天皇の大命に坐せ。贈正三位橘朝臣の墓の前に、官位姓名を使と爲て宣り給はくと宣る。往昔、年號を元弘・建武と云ひし頃、天下亂れに亂れ、人心荒びに荒びて、天津日嗣の貴き事をも知る者無かりし時に、 汝命い清く直く明く正しき誠實の 心を振ひ起し、皇御稜威を彌高に彌廣に助け奉り作し奉らむと爲て、家族親族を引率へ、射向ふ賊等を伐罰め、最後には戰場に身沒り給ひき。惟己が命の身沒り給ひしのみに非ず、兄弟・子孫に至るまでに都我の木の彌繼繼に、草むす屍水づく屍を、 天皇の御楯として、許多の年の間、吉野の山の行宮を守り奉りし事も、專ら汝命 の訓に依りてし、然在る者ぞとなも、常も御思す。凡そ汝命の皇朝廷に仕へ奉りし狀は、天地の共臣と云ふ臣の鑑と在る可しと御思すが故に、先年、湊川神社を別格官幣社と定め奉り給ひしかども、尚ほ飽足らず御思す間に、今此所に至らせ給ふに依りて、特殊なる大命以て、 墓に使差して、更に正一位を贈り給ふ。故れ斯の狀を開食せと宣り給ふ天皇の大命を、聞食せと宣る。(「公文錄」)
承詔必謹