國體は神代から續く 編輯員 岡學歩

「はじめ」と云ふ言葉には「初め」と「始め」二つの漢字がある。意味を調べると、最初が「初め」事柄の開始が「始め」である。つまり「日本の初め」と「日本の始め」では意味する所が大きく變はつてくるのである。

私は日本の「はじめ」に就いては過去に本誌に於て「日本の起點」と題して持論を述べてゐる。そこで、日本の起點とすべき出來事や考へ方として三つ候補を上げてゐる。一つ目は古事記に於る神代を基準とする考へ方。二つ目は 天皇を基準とする考へ方。三つ目は大化改新前後を基準とする考へ方である。結論として日本の起點は神代にあるとしてゐる。何故ならば「初め」と「始め」の違ひがあるからである。

順番を前後するが、二つ目の 天皇を基準とする考へ方から説明をする。私の考へる「日本のはじめ」に該當するのは 神武天皇または 崇神天皇である。どちらも「ハツクニシラススメラミコト」の名を持つてをられ 天皇として日本を治めてをられる。これは 天皇と云ふ稱號や制度としては「初め」ではあるが、日本の起點としては「始め」である。神武天皇、崇神天皇が理想とした日本の在り方は既に存在してをり、實務としての統治を開始したと云ふ解釋である。

三つ目の大化改新前後を基準とする考へ方も同じ理由である。蘇我氏體制の在り方に危惧し、大きな政治改革を行ひ天智天皇の下中央集權國家へ舵を切つた。日本に於る中央集權國家と云ふ新しい體制の「初め」であるが、日本の起點としては「始め」である。ここでも天智天皇が理想とする日本の在り方は既に存在してをり、天智天皇の統治を開始したのである。

最後に一つ目の古事記に於る神代を基準とする考へ方であるが、神代こそ日本の起點であると斷言する一方で、起點となる事象・時間が曖昧なのである。古事記と云ふ書物は和銅五年(712年)に編纂されてゐる。しかし、その内容はもつと過去から傳へられてゐる。そのやうな事實があつたと確實に證明することははまだできない。しかし、事實は無かつたとも證明できないのである。

私の考へとしては證明できるか、證明できないか。事實か、創作かと云ふ事は殆ど意味をなさない。現に當時の古代日本人から現代に生きる我々が神代の物語を日本人の倫理感として全く違和感なく受け入れてゐるからである。日本人は當たり前で氣が附かないかもしれないが、諸外國から見た日本人の普遍性は確實に存在する。その普遍性は日本人の在り方、日本の在り方に通じる。

日本の在り方の説明は難しい。敢へて言葉で説明をするならば「國體」となるのだらう。そして、「國體」を説明するには神代の物語から語らねばならない。だからこそ、日本の「初め」は神代なのである。

 それでは、「國體」とは何かを定義しなければならない。「國體」とは先にも述べてゐるが國の在り方である。何か大きな選擇をしなければならない時の指針とも考へられる。私たちが大きな選擇を迫られた場合、自分自身の學び、經驗、これまで出會つてきた人たちから受けた考へ方、大事にしたいと思つてゐる物や人の存在など樣々な状況・情報を統合し自分自身の考へとして結論を導き出すだらう。つまり、これまでの年月で形成されてきた自分の歴史は自分の在り方なのである。言語化できない感覺的なものもあるだらう。なんとなく選びたくないと云ふ選擇の仕方もある。個人ではそれでも構はないが、集團となればどうだらうか?家族、一族と云つた血縁から村・町と云ふ地縁と母集團が大きくなるほど個人的な選擇はできなくなる。では何を指針とするのか?その土地に傳はる由縁が判斷基準となる事が多い。由縁とは事の起こりと云ふ意味であり、その土地の歴史と言ひ換へる事もできるだらう。これが日本と云ふ單位になつた時、地域により歴史も文化も異なるため血縁・地縁に由來する歴史では統一することはできない。日本全體の歴史として共有する爲には血縁・地縁に頼らない、思想と云ふ繫がりが必要なのである。

思想が日本全土に廣く行き屆いてゐる理由は日本が古くから統一國家であつた事と日本の成り立ちを記した書物が存在してゐたことが大きい。個の判斷基準を持つだけでなく、集團としての判斷基準を持つた事で個としての日本人の在り方と集團としての日本の在り方に普遍性が生まれたのである。つまり「國體」とは日本の歴史そのものであり思想であると定義できると考へてゐる。

日本の「初め」と國體が神代から續くと云ふ事に就いて、私の考へ方をもう少し傳へさせて戴きたい。

それまで、各個人の感覺や口傳で傳へられてきた神代の物語は古代日本人の民衆や統治者の思想に影響を與へてきたであらう。それを天智天皇の御代に萬人に共有できるやう文字と云ふ形で言語化したのである。ここにはこれからの日本を見据ゑた理想も含まれてゐたかもしれない。必ずしも事實ではないかもしれないが、文字による言語化により思想が統一されたことは日本が統一國家として纏まることに大きく寄與したことだらう。つまり、歴史的な事實としての「初め」は先の述べた、天皇として日本を統治した神武天皇または崇神天皇、政治體制として現代の日本と基となつた天智天皇などである。特徴としては開始のタイミングまで時間軸を遡ることができると云ふ事である。しかし、思想としての「初め」は時間軸で遡ることができない。時間軸で遡つてしまふと、飛鳥時代・古墳時代・彌生時代・繩文時代となる。神代の物語を時間軸で考へるならば、繩文時代から古墳時代となるだらう。神代の物語の時間軸と歴史・考古學的な視點からの時間軸は一致しない。故に神代の物語は事實としての「初め」ではなく、思想としての「初め」として考へなければならいのである。

ここまでの私の考へをまとめると、事實と思想を分けて考へるべきであるとしてゐる。

國の在り方とは國體であり思想である。「これが國の在り方だ」認識し定めた瞬間は事實・事象として、誰が・何時そのやうに決めたかを特定することは可能だ。しかし、思想そのものが、誰が・何時・どのやうに出來上がつたのか決める事はできない。

ここで一人の哲學者の言葉を借りる。

「世界は言葉でできてゐる」

ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインは、オーストリア・ウィーン出身の哲學者・言語學者である。彼の著した「論理哲學論考」を參考にしたい。

「私、岡學歩は〇月×日に生まれ、日本に住んでゐる」

これが事實であり、具體的に説明が可能だ。

「私、岡學歩は宙を舞ひ、山の彼方へ消えていつた」

これは文章を讀んだ人はその情景を想像することはできるが、現實にはあり得ない。しかし、言語的な法則や論理として矛盾はない。多くの人は人が空を飛び、山に消えていくと云ふ事を事實としては讀まないだらう。

それでは神代の物語はどうだらうか。言語的な法則や論理に矛盾はない。つまり神代の物語は事實に近い形で想像することができるのである。神代の物語を國の在り方として定め、その物語を文章として讀んだとき、事實としてあつた・なかつたは別として、その情景を想像し人物の行動・考へ方を讀んでゐる自分自身の中に取り込み、實體驗ではないが、經驗として感じる事ができるのである。つまり、私たちにとつて、思想の原點として遡り經驗として感じる事ができる原初の地點は「天地初發の時」と云ふ言葉なのである。それ以前は言葉で語る事ができないのである。

言葉で語る事ができる範圍は事實と同樣に扱ふ事ができる世界があるのである。俗な言ひ方をすればパラレルワールドとなるのかもしれない。歴史・考古學の事實とは確かに違ふ。しかし、確實に遡れる世界がある。その世界が現實の世界に大きな影響を與へ歴史と云ふ事實として今に紡がれてゐる事が、神代が國の在り方の起源であり、國體が神代から續くことを證明してゐる。

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