新春に思ふ 武田世

令和六年新春。まづは「令和六年能登半島地震」に遭ひ、亡くなられた方々の御冥福をお祈りすると共に、被災された皆様に心よりお見舞ひ申し上げます。 

私は近年寢正月で過ごす事が多くなつたやうに思ふ。だらしないやうな氣もするが賞際さういぶ人達も多いのではないだらうか。良く言へば仕事始めに向けて榮氣を養つてゐるつもりでもあるのだが。そのやうな中色々な事を思ひ考へてゐると「十年一昔」とはよく言つたもので近年に於る日本の正月は隨分樣愛はりしてしまつたやうに思ふ。といふのも正月と聞いて誰もが思ひ浮かべるやうな事や風情を現在目にする事があるだらうかといふ事だ。例へば私が暮らす田舎でさへ風上げや羽根突きをして遊ぶ子供達を見かける事は皆無となつたし、正月料理であるおせち料理でさへあまり作らなくなつてきたやうに思ふ。それどころか今では通販やコンビニで買へたり、中には洋風や中華風まであつたりと、もうおせちとは呼べない代物まで存在してゐる。また門松や注聯繩もあまり見かけなくなつてしまつた。 

令和の現在、何もかもがスピーディーで便利な時代となつた。時代の流れと共に變はりゆくものもあるだらう。それは當然の事で仕方のない事だと思つてゐる。しかし幾ら時が經たうとも守り續けていかなければならないものもある。先ほどの凧揚や羽根突きもさうだ。古來より受け艦がれてきた誰もが知る遊びだがそれぐに先人達の願ひや思ひが込められてゐるのだ。凧揚げは(特に江戸時代に流行し、男子が生まれた家庭女では年の始めに出生を祝ひ、健やかな成長を願ひまた魔徐けの意味を込めて上げられてゐたし、羽根突きには邪氣をはねよけるとか一年間の無病息災を願つたりするといふ意味が込められてゐるのだ。これだけではないがこのやうな傳統的な遊びをする子供達を見かけない現在の正月は非常に寂しいものとなつた。時代の流れと言はればそれまでだがさう云つた遊びを知る大人がその意味や樂しさを少しでも傳へていくべきではないだらうか。 

また年越しの際の樣子も變はりつゝあつて新年を迎くると同時に「ハッピーニューイヤー」といふ言葉もよく耳にするやうになつた。年賀状でもさうだが。私は最近このまゝいけば日本の正月はやがて西洋と同じやうに新年を祝ふだけのたゞの休日になつてしまふのではないかといふ強い危機感を抱いてゐる。 

宮中では新年を迎へるにあたり前日より大祓が齋行され、あけて元日には四方拜(早朝に 天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮、山陵および四方の神々をご遙拜になる年中最初の行事)歳旦祭(早朝に三殿で行はれる年始の祭典)三日には元始祭(年始に當たつて皇位の大本と由來とを祝し、國家國民の繁榮を三殿で祈られる祭典)四日は奏事始(掌典長が年始に當たつて、伊勢の神宮および宮中の祭事のことを天皇陛下に申し上げる行事)〈宮内廳ホームページより〉が齋行される。 

私達は日本といふ歴史傳統に類を見ない美しい國に生まれ、育つてきた。この先私達は西洋かぶれする事なく何事も簡素化し過ぎる事なく日本人としての自覺と高い意識を持つて純粹に日本の正月を祝ひ、守り願けていかなくてはならない。この先自然に薄れゆく文化もあるかも知れない。また新たな文化が生まれるかも知れない。ここればかりは誰にもわからない事だが今日まで續く日本の美しい傳統文化を守り續けていく事が令和の現在を生きる私達の役目なのだ。 

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