清原貞雄著「国学発達史」考六

第二章 近世国学の先駆

第一節 学問復興の気運

●明治期を除き学問の最も盛なるは徳川時代で、衰へてゐたのは戦国時代である。それは平和が長く続く事が大きな理由である。その気運は戦国の末にあらはれ、一條兼良が文庫を作り、吉田兼倶が新しい神道をとなへ、山口の大内氏が学者や公卿を保護し書を海外に求め、薩摩の島津も書を輸入し学者を保護、土佐の長宗我部元親は儒学を学び南村梅軒の門下で南学を起こし山崎闇斎を出す淵源となつた。

●よつて学問の気運を最も高めたのは徳川家康であつた。家康の文教に関する事業の発端は文禄二年藤原惺窩(せいか)を招いて貞観政要の講釈を開いた事がある。この時期は豊臣氏全盛の頃である。

●家康の子で尾州徳川家の祖になつた義直も林道春い学び特に神道に就ては造詣深く、神祇宝典九巻を著はしてゐる。

●家康は薨ずるに駿府に蔵した書籍を尾張、紀伊、水戸の三家に賜つた。此の事は後に水戸学の起つた基礎となつた事は当然考へられる。

●皇室に於かせられても好学の気運が大いに盛になつた事は注意すべき事である。 後陽成天皇 後水尾天皇が最も学問を好まされ、続いて 明正 後光明 後西院 霊元等の代々の 天子が悉く好学であらせられた事である。

●徳川時代になつてからは儒学が僧侶の手から離れて独立する傾向を有してきた。藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎、谷時中、また陽明学における中江藤樹や熊沢蕃山、古学派における山鹿素行や伊藤仁斎等が輩出された。

●儒学勃興のなかにあつて国学の趨勢は少しく立ち遅れ気味であつた。ただ、北村季吟と加藤般斎の二人が出て、源氏物語、伊勢物語、枕草紙その他多くの古い国文学書に就いて注釈を整理し、集大成し、且つ出版して世に普及せしめた。これは一般的に親しみやすくした事が大きな業績であつて、後の国学の勃興の伏線となつた。真の意味の国学は荷田春麿に始まるのであるが、その前に春麿を出すまでの先駆者に就いて考察する必要がある。

※本文は清原貞雄著「国学発達史」の文中から筆者が大事と思ふ所を抜き書きしたものである。