産土信仰を以て世界皇化の本源とす可し矣=「敬神崇祖尊皇」生活の實踐をせむ=一赤子 大岩優輝

復刊五号(平成二十六年七月一日)より

筆者の産土神社である多度大社(たどたいしや)

筆者の産土神社である多度大社(たどたいしや)

所謂る社會の右傾化が叫ばれて久しき現下、保守と呼ばるゝ陣營が擡頭し、朝な夕なテレビで囂しう講釋を垂れ、書店でも政治や歴史や國防に就て述べたる書籍が、平積みされてゐるのが眼に止まる。然れども愚生はかやうな風潮を「右傾化」と呼んで肯んずるものに非ず。豈に是れを悦ばざらん乎。何となれば彼らの主張するところは畢竟、悉く近代文明に立脚したるが爲であり、産土信仰や社稷の精神を拔きにした國家論なぞ、凡百の國家論と何ら變はらざるものであるからである。
嘉永六年、浦賀に四隻の黒船が來航し、爾來、吾が國に麻疹の如く西洋文明が蔓延す。明治御一新以降、彼の普魯士式國家主義を基礎としたる(權藤成卿『農村自救論』)新政府によつて、産土信仰や社稷の精神を忘却した近代化が進められ、其過程に於て、明治聖代の疵瑕と云はるゝ足尾銅山鑛毒事件が惹起せり。そは正しく文明萬能の驕りによつて齎された悲劇と云ひつ可し。田中正造翁は「眞の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざる可し」と述べたが、全く以て然りである。

そも吾が國の礎は農に有り。權藤成卿翁が『農村自救論』に於て、「神社の祭禮は、農暇を以つて行はれ」たと述べたやうに、古來より大御寶たる百姓にとつて、産土信仰は日常生活の一部たり得た。 すめらみことが大嘗祭を經て 天津穗嗣となり給ひしことを刮目せば、農は神事なりしこと疑義を挾む餘地無く、故に 皇國民の農事に勤しむは、君民一體を明示することに他ならぬ。
先づ以て石見國の篤農家・岩谷九十老翁、祈年祭と神嘗祭の供御として すめらみことへの初穗獻納の請願運動を行へり。其期間、實に天保八年より明治十五年迄の、凡そ五十年に及ぶ可し。其請願書に曰く、「農者國之本源也トハ泰西肉食國二於テハ、其適切ノ言ナラザルベシト雖モ、我國ノ如キ、三千年來、民肉食ヲ爲サズシテ、身體ノ健全ヲ保チ、天賦ノ生命ヲ完ウシテ、萬物ノ靈位ニ安然タルハ、一ニ米穀ノ恩ニアラズシテ何ゾヤ」と。亦た曰く、「惟ルニ農ハ國ノ本源ニシテ古來三千年官祖先綿々蒼生ノ今日アルヲ得ルモノ實ニ農ノ賜ナリ即農ハ國民生命ノ父母ニシテ民ノ農ヲ孜ムルハ國家ニ對シ祖先ニ對スル義務ナリ啻ニ國民ノミナラズ朝廷亦之ヲ義務トシタマヒ歴朝ノ聖主春秋ニ祭典ヲ行ヒ、御躬親ヲ天地神祗ヲ祀リテ風雨ノ和順ヲ祈リ五穀ノ豐登ヲ告謝シタマフ(以下畧)」と。吾人は此處に、翁が天祖による稻穗の下賜を擧げ、皇國民が
すめらみことに初穗を獻納するを以て、君民一體・神人一體の具現化を圖らむとしたと讀み取ることが出來る。大祓詞に見し八種の天つ罪、すなはち、畦放・溝埋・樋放・頻蒔・串刺・生剥・逆剥・屎戸がいづれも農耕妨害であることは、云ふに及ばず。

福田恆存先生の「文明開化以後の近代日本の歩みは、文化の喪失の歴史ではないか」てふ指摘は云ひ得て妙なり。明治卅九年、「神社合祀令」が出され、全國で約七萬社もの村社や無格社が、官公吏によつて剿蕩せられた。愚生の生まれ育つた三重縣に於ては、約九割の神社が廢されたと云ふ。是れに對し南方熊楠翁は。『神社合祀に關する意見』に於ける神社合祀に就て、

第一、敬神思想を薄うし第二、民の和融を妨げ
第三、地方の凋落を來たし
第四、人情風俗を害し
第五、愛郷心と愛國心を減じ
第六、治安、民利を損じ
第七、史蹟、古傳を亡ぼし
第八、學術上貴重の天然紀念物を滅郤す

多度大社の上げ馬神事

多度大社の上げ馬神事

てふ八つの問題點を擧げ、十年餘りに亙つて反對運動を展開したと云ふ。官製の國家神道に眞つ向から立ち塞がり、土着の産土信仰を奉護せむとした熊楠翁に、愚生は心より敬意を表するものである。
亦た昨今パワースポツトなる流行に肖り、巷間の人、悉く高名なる神社に參拜するを專らとする觀、尠からず見らるゝけれ共、愚生は産土神社を蔑ろにした御利益信仰なぞ、本末轉倒も甚だしと強辯して聊かも躊躇せざる可からず。篶舎六人部大人が、『産須那社古傳抄』に於て、「凡そ天下弘しといへども、太古より以來、産須那の神の鎭坐し給はぬ地は有ること無く、其の御蔭を蒙らざる人も有る事無し」と述べてゐることからも、吾人が産土信仰をせねばならぬのは、愚生が殊更云ふ迄もないだらう。
蓋し大正十四年、朝鮮神宮が創建された折り、葦津耕次郎先生が『朝鮮神宮に關する意見書』に於て喝破された、「皇祖および明治天皇を奉齋して韓國建邦の神を無視するは人倫の常道を無視せる不道徳」てふ至言を刮目せられよ。朝鮮神宮に 天照大神と 明治天皇を奉齋し乍らも、朝鮮の國魂神たる檀君を奉齋せざるは、惟神大道に背きしことにして、葦津耕次郎先生のみならず、近代皇學の大家たる今泉定助先生や、縣居大人の子孫にして靖國神社の宮司であつた賀茂百樹先生なども、斷固容れざる可しとして指彈せられたのは、流石に卓見と申すより他あるまい。葦津先生が同書にて「日韓兩民族乖離反目の禍根たるべし」と豫見されたのは、正しく今日の日韓關係及び日朝關係を物語つてゐるのであつて、産土信仰を蔑ろにした末路を明示してゐるではない乎。 村山惣作翁、『タマシヒの安定は鎭守樣から』に曰く、「産土信仰の眼目は皇室の御存在に対して忠誠を勵むことである」と。亦た曰く、「天皇陛下の寶祚無窮を使命とせられて、出雲大神主宰の基に、各土地々々の幽政萬般を掌らせ給ふ産土神は、我等國民をして、一意專心、陛下に仕へ奉らしめんが爲め、萬物を守り惠み幸ひ賜ひ、同時に我等個人々々の正邪曲直を審判して、道徳の根源を把握し給ふ、最も縁深き親神樣なり。此の故に産土神奉齋の根源は、天皇陛下の御爲なり。而して大和魂や日本精神の本源は、實に産土神の御意志にして、此の御意志を己が意志にすること、即ち産土神信仰の最奧義たり。是れ“日本精神の本義顯彰は産土神信仰から”と絶叫する所以にして、産土神を信仰してこそ、日本人本來の熱も力も勇氣も安命も得らるゝなり。而して産土神は國魂の神であり、地主の神であるが故に、此の神を信仰することは國魂信仰にして、其の國魂を基として祀り信仰してこそ、其の土地は治まり、萬物に處を得せしむる所以にして、其の具體化せるもの、即ち神社(鎭守)なり」と。産土信仰は すめらみこと信仰に直結す。權藤成卿翁は『農村自救論』に於て、「制度が如何に變革しても、動かすべからざるものは、社稷の觀念である。衣食住の安固を度外視して、人類は存活し得べきものでない。世界皆な日本の版圖に歸せば、日本國といふ觀念は、不必要に歸するであらう。けれども社稷と云ふ觀念は、取除くことが出來ぬ」と述べたけれ共、是れは世界皇化をしても社稷の精神は消えぬことを示唆するものなる歟。世界皇化とは萬邦諸國の信仰及び習俗を否定するものに非ず、寧ろ是れを包み込みつゝ、萬の教を すめらみこと信仰に歸一せしむるものなり矣。「敬神崇祖尊皇」生活の實踐をせむと求むれば夫れ、先づ何よりも産土神社を等閑に附す勿れ。

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