第一四九一詔 招魂社に臺役戦死者の靈を合祀し給へる祭文(明治八年二月二十二日)

天皇(すめらみこと)大命(おほみこと)()せ。今日(けふ)(あら)(しづ)(まつ)れる(もろもろ)(みたま)(まへ)に、式部(しきぶ)(れう)七等(しちとう)出仕(しゆつし)(けん)大掌(だいしやう)(てん)(じゆう)六位(ろくゐ)松尾(まつを)(はる)(なが)使(つか)ひとして、(まを)(たま)はくと(まを)さく。天皇(すのらみこと)大命(おほみこと)(まにま)に、去年(こぞ)五月(さつき)臺灣(たいわん)事務(じむ)都督(ととく)西郷(さいがう)(つぐ)(みち)(したが)ひて、()(しま)(いた)りて()(あだ)(ども)()(たい)らげし(とき)(おの)(おの)(あか)(ただ)しく(たけ)雄々(をを)しき(こころ)()(たたか)身亡(みまかり)(こと)を、(いた)(おし)(いた)ませ(たま)ふ。()()(さま)(わす)(たま)はず、()(しさをし)(とこし)(つた)(たま)はむとして、今年(ことし)より(はじ)めて、(いや)遠長(とほなが)(まつ)らせ(たま)はむ(こと)(よし)(きこ)(しめ)せと(まを)(たま)天皇(すめらみこと)大命(おほみこと)を、(きこ)(しめ)せと(まを)す。(「陸軍省日誌」)

※明治四年に台湾先住民が琉球(沖縄)島民五十四名を殺害したことや明治六年に岡山県の船員が略奪された事を受け、明治七年に台湾に出兵した。外務卿副島種臣は、日清修好条規批准の為、清(支那)に赴いたとき,琉球(沖縄)帰属問題を含めて台湾漂流問題を交渉したが,清国側はこれを拒否。よつて台湾に出兵。戦死戦病死合はせて五一二柱。同年大久保利通が清国と交渉し償金五十万両を得て撤兵。

承詔必謹

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